「満足をしない」気持ちが必要

死ぬまでにアナログ回路の設計ができるようになりたいと思っているので、以前も「アナログ回路の学習をしている」という話を書いたが、その後、「キットで遊ぼう電子回路」というセットを購入してこつこつとテキストに沿って学習している。

9月でVol1を終えたところで、日々の成果を撮影したものを一部をまとめてみた。

導入実績を見ると工業高校や大学の工学科で使われているキットである。

vol1の内容は以下の通り。

01 LED を点灯させてみよう 50分

02 LEDを逆につけてみよう 40分

03 VR(可変抵抗器)をつないでみよう 40分

04 電気の3要素とオームの法則 15分

05 電圧の測定 50分

06 電流の測定 50分

07 抵抗値の測定 50分

08 並列回路 70分

09 ダイオードを利用した回路1【整流回路】 40分

10 ダイオードを利用した回路2【論理回路を学ぶ前に】 40分

11 ダイオードを利用した回路2【論理回路 OR回路】 40分

12 ダイオードを利用した回路2【論理回路 AND回路】 40分

13 ダイオードを利用した回路3【マトリクス】 40分

14 コンデンサって? 15分

15 単純CR回路 50分

16 単純CR回路に放電機能を追加 40分

17 CR回路【コンデンサ並列接続】 40分

18 CR回路【コンデンサ直列接続】 80分

19 Excelを使ってCR回路をシミュレーション 15分

20 CR回路【微分回路と積分回路】 50分

シリーズはvol9まであるので楽しみである。

改めて実際に回路を組みながら学習してみて思ったのは、中学・高校の物理で電気のことを座学でのみ学ぶのはかなり苦しかっただろうなということだ。なので学生時代に学んだことはほとんど頭に残っていないし、そもそもちゃんと理解できていなかったなあと思う。

あと、趣味の電子工作はあまり精密さが必要ないので雰囲気で組んじゃっていたことも多かったし、その場しのぎで目的達成ができたら、そこでいったん脳が満足してしまうため、さらにその先へと学習の歩みを進めることができていなかった。 学習を続けるためには、「現状の自分の理解度に満足をしない」というのが必須条件ではないだろうか。

アナログ回路の学習については月に一度ぐらい、ここで振り返りをしていきたい。

記憶を改ざんする

私がときどき若い人に言う台詞に「記憶って改ざんできるから」というものがある。どういう感じかという説明がちょっと難しいのだが、人の脳の研究などでも事例として、「人とは自分の都合が良いように脳の記憶を書き換えてしまうことが往々にしてある」、みたいなやつね。

私がそれをリアルに実感したのは、もう何年も前、とある組織の会長候補になったときに組織の先輩から「お前はまだ早い。今のお前には誰もついていかない」と言われたことがあった。当時私も人望がないのは自覚していたので、それなりに傷つきながら、言われるがままに推薦を固辞した。が、結果的に他になり手がいなかったので私が会長になった。という出来事があった。

数年してから、私がその職でそれなりに成果を出した後で、先輩が私に向かって「お前は俺が引き立ててやったからなあ。お前ならやれると思ってたよ」と言われて、自分の記憶と真逆なので冗談で言っているのかと思ったが、先輩は本当にそう思っているっぽかったので、あっ、この人、記憶が改ざんされたんだなあと思ったことがある。

以来、私は「人の記憶は改ざんされる」を逆手にとって「人の記憶は改ざんできる」と思いながら生きるようにしている。

もし何か仕事で失敗をして大層怒られたとする。自分でも「なんであんな失敗をしたのだろう」と悔やんでしまい、そのジャンルの仕事とか、自分を怒った人のことがとても苦手になってしまうことがある。

さっきの事例で言うならば、「お前には誰もついていかない」と言ってきた人の言葉は深く心に刺さり、その台詞を言った人と会うたびに「私って人気がないからなあ」と卑屈になってしまっていた。

が、「記憶って改ざんされるんだ!」と思えた時からはあまり過去の自分に対する評価に囚われなくなった。「あー。昨日、余計なこと言って失敗しちゃったかも」と落ち込むことがあっても、「言っちゃったものはしょうがないから、あの人の記憶を書き換えよう!」みたいに言い聞かせて気持ちを切り替えて行動するようにしている。

真摯に取り組んで、自分にも相手にもハッピーな結果を生み出すことができたとき、ごく稀にほんとに相手の記憶が良いほうに変わることがあるのかもしれない。もちろんそういうことばっかりじゃなくて「お前、昔は全然ダメだったけど、今は成長したなあ」などと言ってもらえることのほうが多いけども。

こういう考え方もあるよ、という参考にしてください。

2023年度新人研修報告

昨日は、今年の新入社員のリー・シューチンさんの新人研修社内発表会をした。リーさんはもともと情報系の学部ではなかったので、プログラミングもほぼ未経験、日本語も日常会話は堪能とはいえ専門用語になると大変なことも多い研修期間だったとは思うが、要所要所でモノづくりを「楽しい」と笑顔で言ってくれていたので私もリーさんの笑顔に支えられての研修だった。

さて。毎年のように、Gitなどのツールの使い方や、Javaなどの言語研修を終えたあと、仕上げは私がやっている「RaspberryPiを使ったLinux・IoT研修」であった。実際の業務に入れば、ソフトウェアメインであって、IoTの研修は役に立たないことも多いかもしれないが、まずはLinuxに触れ、OSそのものに触ることに慣れて欲しい。

Linux操作を一通り習得してもらったら、ブレッドボードをつないでLEDを光らせたり、タクトスイッチのOn/Off状態を拾ったりすることをして、それらをマニュアルにしていってもらった。

最後は自由課題である。これが一番の難題だ。総合課題なので、ソフトウェア・ハードウェアの知識が多ければ多いほどアイディアも思いつき易いのだが、まだ限られた知識量である。あと、私が私物で持っている限られた電子部品を渡して試行錯誤してもらったので、それも制限になっただろう。

最初はサーボモーターを使った課題を考えていたリーさんであるが、途中でリーさん自身が却下。悩みに悩んでモーションセンサーが検知した情報をCSVに書き込んでそれをリアルタイムでグラフ化する、というテーマで作成することにした。

最終課題は基本的には「自分でテーマ設定をする」「期限内に完成させる」が重要なので、私はあまり踏み込んで意見を言ったりアドバイスをしたりしないようにしていたが、途中では相当悩んでいた。

さらに昨日の発表会ではもう一つ課題を出した。「苦労した経緯を含めて、今回の課題に取り組んだ様子をスライドにして発表してください」というものだ。リーさんは、デザイン系の学部を出ているので、スライドを作るのはかなり楽しんで、しかも早く作れるという特技がある。今回研修中も、4種類ぐらいスライドを作ってもらったが、どれもテーマデザインを変えて、効果的なイラストを入れながらの発表で、その点では今までの新人よりも頭一つ抜け出ていたと言える。

あと、クワトロリンガルなので、調べ物をする際に英語の文献をあたれることもエンジニアとしては強い武器と思う。

で、以下、発表の様子。

↓こんな感じでモーションセンサーが動きを検知する状況に応じてグラフを表示。

↓去年の新人の畑さんも実演に参加。

↓最初サーボモーターでいこうと考えてやめた理由について説明。笑顔めちゃいいですね。

↓モーションセンサーを扱うにあたり、フレームワークやブラウザのリロードについて苦労した点を説明してくれた。

↓Viも使いこなしてのソースコードの説明。「なぜPythonで作ったのか?」という先輩からの質問も。

今年は新人が一人だったので、マンツーマンでの研修となり一人で悩むことも多かったと思うが、今のところIT業界で働くのは不安よりは楽しみが多いようなので安心している。「なんでもできるようになりたい!」という野望も持っているので、これから大きく成長してくれると思う。

感想『ハンチバック』

気になっていた芥川賞受賞作『ハンチバック』、読了。

重度障害者である市川沙央さんが、同じ病気を持つ主人公の視点で書いた小説。

まず、一番大事なこととして、小説としてテンポが良い、読み易い。それはとても大事なことだ。

この本は主人公の釈華(しゃか)いう女性以外の人を掘り下げて描くことをしていないが、唯一、ヘルパーの田中という男と釈華のやり取りにページが割かれ、男が女を介助することや、弱者はどちらなのかということなど、いろいろな対立を浮き立たせる生々しいものになっている。

先天性ミオパチーという筋肉が落ちていく病気の小説を読みながら、(比べるようもないことだが)自分の老化もまた努力を放棄すれば緩やかに筋肉が落ちていくことなんだよなあ。と、思い、そんなに主人公と自分は、立場にいかほどの違いがあるのか、などと思ったりもした。

この病気は一度落ちた筋肉は二度と戻らない。トイレに手すりをつけたら、もう二度と手すりなしでは立ち上がれなくなる、といった描写があり、だからギリギリまで体力を使って主人公は死に物狂いに机に向かう。

この小説を読むまで忘れていた。人類が便利と引き換えに失った体の機能はずいぶんと多いじゃあないか。

私も、最近は自分の肉体から失われていくものを数えることが増えた。早かれ遅かれ肉体とはそうやって朽ちていくものだから、私は釈華の生き様から、改めて残りの人生の過ごし方について考えることになった。

「ゆらぎ」が欲しい

前回は9月4日に夫の料理を紹介した。その時のメニューは、買ってきたハムステーキを焼いたものだった。その時のハムステーキが少しパサパサしたものだったので、夫は別の製品を探して焼いてみたりしていたのだが、このまま放っておくとハムステーキが続いてしまうなあと危機感を覚えた。もちろん、ハムステーキでもなんでもありがたいのではあるが、飽きる。夫は「ハムステーキだって焼き加減が難しいんだ」と言うのだが、飽きる。

ところで毎日同じメニューでも飽きない、という人がいる。あるいは、毎日コンビニのお弁当でも飽きない、という人もいる。

私は飽きる。どんなにへたくそな料理でも、やはり変化があったほうがずっといい。同じメニューでも、自分で作ったほうが飽きない。外食チェーンやコンビニのお弁当は均質な味を出すことを目的としているので、家庭で作る料理のような「ゆらぎ」が少ないから飽きるんだろうなあと思う。

ところで、夫は昨日はCook Doの調味料を使って回鍋肉を作った。これも以前も作ったメニューではあるが、ハムステーキよりも工程が多い分、「ゆらぎ」の要素が多いので美味しくいただいた。

別に「ゆらぎ」なんかなくても、毎日コンビニごはんでもいい、と思っているであろう夫に「ゆらぎ」を求めるのはなかなか困難ではあるが、やはりそこは頑張っていただきたいなあと思っている。

もうずいぶん昔ではあるが私が子育てと仕事の両立で死ぬほど忙しかった頃に、夕飯を作る余裕がなくてコンビニの弁当を買って帰ったら夫が不機嫌になったことは私の心に深く刻まれている。あの頃に比べるとずっと夫は寛容になったので、許していると言えば許しているんだけど、月に一度か二度、家族のごはんに手間暇をかけてくれと少し強めにお願いするくらいには、私は許していないのである。

「焼きごて」

以前、「焼きごてをお祝いに戴いた件」について書いた。

あのあと、バーナーも備品として用意され、じゃあいつ使う機会があるのかみんなで考えていたが、なかなか機会が訪れなかった。パンケーキを焼くしかないことは分かっていたのだが、どんなに頑張っても社内でパンケーキを焼く機会はなかなか訪れなかった。せっかくブランドの象徴の「焼きごて」をいただいたのに、活躍の場を作れない。ふがいない社長で申し訳ない気持ちでいっぱいであった。

しかしついにその機会は訪れた。

9月16日(土)に、我々社内の有志とコミュニティで出会ったエンジニアの人々およびその家族25名あまりでバーベキューが開催され、そこでいつもバーベキュー会場の設営及び料理を担ってくださる「キャンピングイクイップメントストア」の人にお願いをして「焼きごて」の活躍の場を作るようにお願いしておいたのだ。

当日、暑い中ではあったが、陰になっている場所にタープを張っていただき、その中で我々はバーベキューを楽しんだ。

「キャンピングイクイップメントストア」のかたが炭火で焼いたベイクドチーズケーキ一切れ一切れに社名の焼きごてを押してくださり、「finetオリジナルチーズケーキ」を皆で味わうことができた。

「finetオリジナルチーズケーキ」は、普段食べるチーズケーキよりは各段に美味しいものであった。

「キャンピングイクイップメントストア」のナカムラさんが「だんだん上手くできるようになりました」と言っては、出来立てのチーズケーキを運んできてくださった。4皿も焼いてくれたのを、みんな「うまい、うまい」と食べた。

本来の「ブランド」を想起させる社名の焼き印。一年に一度は焼きごての活躍の場を作りたいものである。

なお、バーベキューそのもののブログはエンジニアブログにもうすぐ更新されると思うので、そちらもよろしく~。

同じ相談を何度か受けたので

先日、まったく業種が異なるとある素晴らしいキャリアの持ち主のかた、(ここでは仮に島崎さんと呼ぼう)と呑んでいてある相談を受けた。これは以前にも似たような相談を何度か受けたなと思ったので、少し内容をボカしつつ書いてみる。

島崎さんは、今月末に上司とこの先のキャリアについて面談をすることになっていて、もともと技術職ではあるがいくつかの転機を得て上司のかたと同じキャリアのほうに足を踏み入れようかどうしようかと迷っておられた。

私は島崎さんの上司のかたのことも少し存じ上げているのだが、部分的には上司のかたを超えるぐらいの資質も持っておられるので、上司のかたにその気持ちを伝えたら良いのではと思った。島崎さんが気にしていたのは、上司のかたがそれなりにその道の第一人者というプライドもあり、ボタンを掛け違えると怒らせてしまうかもしれないということだった。

島崎さんと上司のかたに具体的にもめ事があったわけではないのだが、それまでのいろいろな出来事の中で島崎さんはもしかしたら上司のかたから自分は疎まれているのではないか、という不安が払しょくできないようであった。

私はその時に「あのね。島崎さん。『もしかしたら自分は相手から嫌われているんじゃないか』『もしかしたら自分はあの人から疎まれているんじゃないか』って思うことって組織の中ではたまに思うこともあると思うんだけどね。絶対に、『あなたは僕のことが嫌いなんでしょう』って口にすることも思うことも、駄目だから。それは思っただけで『ほんとう』になってしまうから。だから、相手があなたのことをどう思っているか分からない不安があったとしても、絶対に相手はあなたのことを100%信頼しているし、あなたも相手を100%信頼している、というそういう絶対的な前提の上で接したほうがいいと思うんです」と言ったのだ。

「あとね。上司の人、私も初めてお会いした時はちょっと神経質そうなかたかなと思ったけど、私から話しかけていったら笑顔も見せてくださったので、多分、あのかたは相手から懐に飛び込んでくれたほうが嬉しいタイプなんだと思うよ」とも言った。

島崎さんは私の助言を聞いて、ものすごくホッとしたような顔で、「相談して良かった。そうしてみます」と言ってくれた。私と島崎さんだって会うのは二回目だから腹を割って話せるほどの仲でもなかったと思っていたので、それを相談してくれるなんてよくよくのことなんだなあと思った。

組織の中で、派閥とかグループなどがある場合、「あの人(あのグループ)から自分(自分たちのグループ)は嫌われているかもしれない。そんな悩みを聞くことはけっこうある。

私も以前、そういうことでモヤモヤしていて、ついうっかりギクシャクしている相手に向かって、「あなたは本当は私のことが嫌いなんでしょう?」と訊いてしまったことがある。それはもう何年も前のことだけど今でも後悔している。そう言ってしまった途端、そのことは「ほんとう」になるかもしれない危うい言葉だ。そんな言葉、投げかけられた側からしたらその瞬間から、そんなことを言ってきた相手とは本当にリラックスした関係にはなれなくなってしまうだろう。今でもずっとずっと、悔やんでいて、だからずいぶんと経ってからその人と話ができたときにはホッとしたのだった。

組織で相手と自分の間に距離を感じるとき、それは単純に文化が違うせいで互いのコミュニケーションの取り方がまったく違うせいかもしれないし、たとえば同性が多い職場にいて異性に対してビジネスで会話するのに慣れていないから戸惑っているだけかもしれない。上司といえど余裕がなくて部下を認めてやる優しい言葉が用意できなかっただけかもしれない。

帰り際、島崎さんが明るい顔になって良かったし、面談がうまくいったら本当に嬉しいなあと思いつつ見送った。