オープンにしていこう

先週の夫の新作を載せるのをすっかり忘れていた。 「うちのごはんシリーズ」の「白菜のうま煮」であるが、この商品は

「白菜1/8個と油揚げ1枚」あれば、フライパン1つで簡単に、「白菜のうま煮」が出来上がります。

が売りである。しかしながら夫はこの日、夕飯のおかずはこの一品しか作るつもりがなかった。いやー。それはちょっと。白菜1/8個と油揚げ1枚で家族の胃袋が満たせるとでも思っているのだろうか?と思い、せめて油揚げを厚揚げに変えてボリュームを出してくれと頼んだ。白菜ももっとたくさん使ってもらった。

結果、私が帰宅したら「今日はちょっと味が薄くなってしまった」としょんぼりしていた。それはまあそうだよね。合わせ調味料に対して提案された具材の量が決まっているのに、具材を増やしたら味は薄くなるよね。ちょっと砂糖と醤油ぐらい足すとか、そういうことができたらいいのだけれども。ま、なかなかその辺は思いつかないよね。

とりあえず感謝を述べ、「それなりに美味しいよ」と励ましながらいただいた。

ところで先日、オープンセミナー岡山に参加した、とある社員の人と1on1をしていたところ、それなりに刺激を受けたようで、「自分もアウトプットをしてみようと思った。はてなブログを始めてみたい」などと言っていたので、それは素晴らしいし、アウトプットをするならばぜひとも続けていって欲しいと伝えた。本人の中では、ブログを書くことも気楽にとはいかず、多分少し勇気が要る作業だと思う。しかしながら、仮に稚拙でも、間違ったことを書いたりしても、やはり自分をできるだけオープンにして行くことが結果的にリスペクトを得ることになるよ、というのを熱弁した。

まあねえ。うちの夫の料理も、成長というのはほぼ見られない。ただ、月に二度ほど、何とか作る、ということだけ今は頑張っている。夫は自分の「しょんぼりした」結果ををブログに載せることを私に許してくれているし、ブログを読んだ同僚の人が「○○を作ったんだね」と声をかけてくれたと嬉しそうにしているよ。

誰かが何かを一生懸命やってたら、ほとんどの人は応援してくれるから。自分をオープンにすることは成長につながると思うんだ。

肉体は参加できなくても、心は参加できる

10月21日(土)に岡山県立大学でオープンセミナー岡山2023(以下OSO2023と略)がオフラインで無事開催された。今年の実行委員長は昨年コミュニティを通して弊社に入社してくれた廣岡健太郎である。

弊社の特徴の一つとして、コミュニティ活動にいくらか貢献していることがあると思う。今年の6月に行われた弊社の50周年式典でもオープンセミナー岡山というエンジニアの祭典があること、今年の廣岡も含めて三人の実行委員長を輩出してきたことを紹介させてもらったという経緯もある。

しかしながら、私自身はその日から一泊で松江に行かなくてはいけなかった。自社の社員がコミュニティに貢献する姿を見ることができないのは非常に残念であった。

ただ、直接参加することだけがコミュニティ支援ではない。ここでいくらか私がOSO2023に向けてできたことをメモしておく。

1、廣岡が実行委員長になることが決まってからは、就業時間内もOSO2023の活動を許可した。

 ⇒ 実際には社業に関する成長もしてもらわないといけなかったので、充分とは言えなかったかもしれないのは反省点。

2、スポンサーとなる。

 ⇒ これは今年に限らず。

3、他社で有望なエンジニアを実行委員会にスカウトする。

 ⇒ これはスカウトされた側の現在のお気持ちを聞いていないので迷惑だったのではないかとちょっと心配もしているが、私自身があまり立ち入らないようにしているところなので実際のところは分からない。ただ素晴らしい動きを見せてくださっているとは弊社の実行委員会メンバーより伝え聞いている。

3、前日になって懇親会の状況を確認したら、なんといつもは秒で埋まる「座・スタジアム」での懇親会に空きがあるじゃあないの。なので、昼の部に参加する社員二人にも懇親会に出てみてはどうだろうかと勧めておいた。結果、無事に当日参加してくれた模様である。

 ⇒ 普通のいわゆる「呑み会」が苦手な社員にも、「普通じゃない懇親会」だということを説明して興味を持ってもらった。

4、当日の様子を自身の会議の合間にXで確認して気を揉んだり、幸せになったりした。

 ⇒ 私のことを覚えてくれている人もいくらかいたようで、そのことも含めて嬉しく感じた。

エンジニア界隈に限らずあらゆるコミュニティでメンバーが減り続けている昨今、「場を育てる」ためにどんな貢献ができるだろうか。まだまだアイディアがあるのではないかと思っている。

あとはとにかく参加した人が笑顔であったらいい。笑顔ならいいんだ。そういう場所にこそ希望は育つ。

松江でハイボールを少しいただきながら、私も21日の夜に一人岡山に思いを馳せた。

永遠の初心者でいいじゃない

私は中国語検定の4級と統計検定の3級の合格証を持っている。人に話すと、「なーんだ」と思われるかもしれない。実際に、統計検定3級の試験を受ける時は、ちょうど海外から帰国したらすぐ試験、という時だったので、飛行機に乗るときも勉強していた。すると、同行グループの一人が「山本さんが持ってるのってどれも3級とか4級じゃん」と笑った。

多くのジャンルにおいて初心者が入口で受ける検定はだいたい3級とか4級で、そこから2級ぐらいになるとぐぐっとレベルが上がり、本気でやる気にならないと挑戦できない領域となる。だから、3級や4級は自慢にはならないだろう。

具体的にどんな感じで初心者をやっているかというと、その時々で興味があることを日々コツコツとやりつつ、時に壁に当たったらやめてしまうこともあるが、一年か二年寝かせたらまたやれそうだなという感覚が湧いてきて再びコツコツとやったりする。常時だらだらと薄くやり続ける。それが私のスタイルである。

3級や4級しか持っていないことがなぜ嘲笑されるのだろうか。どれも会得できていないまま途中で挫折したように見えるからだろうか。

ということをモヤモヤと思ったりもしたが、相も変わらず私はあちらこちらのジャンルで初心者をやっている。

初心者レベルの検定は、確かにその道で食べていくということにおいては不足ではあるが、人生を豊かにする基礎教養になり得る。また、ただただ学習し続けているという事実が、自分の心の支えになるということもある。

統計でも中国語でもまたアナログ回路でも、学習し続けていればたまに日常生活の中でも役に立つシーンがなくはないので、それはそれで喜びもあるが、「役に立つ」を目標としてしまうと往々にして学習は続かない。

とにかく初心者って間違いを指摘されたて笑われたり、適切な助言を受けられず先に進めなかったりすると挫折してしまいがちだし、学習していること自体を公表するのが恥ずかしかったりということもあるけど、そういう逡巡を乗り越えて続けていくの大事で、何ならやはりオープンにしていくことは大事。

そしてエンジニアのコミュニティという場所は初心者であることをうまい具合にオープンにしている人がめちゃくちゃ多くて、だからとても懐が深い場所なのだ。

明日は弊社の廣岡が実行委員長となりエンジニア向けのイベントであるオープンセミナー岡山

okayama.open-seminar.org

がオフラインで開催される。一人でも多くの人に参加してもらい、学び続けることのモチベーションを持ち帰って欲しいと思っている。まだまだ空きが多いのでご参加お待ちしております。

ちなみに蛇足だが、私は筆ペンは準5段を持っているので、「段」はちょっと自慢してもいいかもしれない。えっへん。

日常雑記

職場の隣にある駐車場を月極めで借りている。

ある朝、出社した時に、その駐車場の出庫ゲートのそばで子猫が死んでいた。頭から血を流していた。朝からつらいものを見てしまったが、いったん会社に荷物を置いてから駐車場の管理人のおじさんのところに行って報告しようと思った。が、そんなショッキングなことなのに、私は仕事の朝会をして終わる頃にはすっかりと忘れてしまっていた。

そのまま、その日は2階のBAR社長室を、営業の人と二人でせっせと片づけていた。すると、駐車場の管理会社の総務の人がインボイスの適格事業所番号を載せた紙を持ってきてくれたのであった。総務の人の顔を見た瞬間、「そういえば、ネコチャン!」と思い出して、総務の人に子猫が死んでいた話をした。総務の人は「そうですか」と言って、対応せねば、という顔をして出ていった。

午後に駐車場に行くと、子猫はすっかり跡形もなく片付けられていた。

ちょっと不穏なスタートを切ったその日は、私は車のドライブレコーダーの調子が悪く、前日に続けて車のディーラーに車を見てもらいに行った日でもあった。ドライブレコーダーがうまく起動できず「常時録画を開始します」という音声が30秒毎に延々と流れるかと思えば、次に乗った時は録画開始の音声が流れない。SDカードをフォーマットしたり、ドライブレコーダーを再起動したりしてもなおらず、画像も固まっているようだったので、新しいものに変えてもらえることとなった。その際のカーディーラーの営業さんの対応が神対応で、私はすっかりと気分をよくして会社に戻った。

秋は精神が不安定になり易いので、これでプラマイゼロになって良かったと思った。

夜も、何日も前から緊張していた食事会が、まあまあ穏やかに終わった。食事をしたお店のおもてなしが素晴らしくて、急なグルテンアレルギーの対応にも快く応じてくれて、何より栗ご飯が、少量の格別美味しい栗を女将が手で剥いて作ったとても美味しいものだったので、今日はプラマイゼロどころかずいぶんとプラスが積みあがった日であった。

2023年秋のテニス大会

定期的な行事だが、年二回、某団体のテニス大会に参加している。3年半前からテニスを始めてすぐぐらいから出ているから、もう6回ぐらいは出ている気がしている。

これまで50回以上を誇るテニス大会はいつも島根・鳥取・岡山の3県からテニス愛好家が集って開催されていたが、主催はずっと岡山であった。島根・鳥取のかたは遠路岡山へ来てくださっていた。今年は悲願の山陰開催ということで島根県は松江市で行われた。

早朝6時半に岡山駅を出発して、松江へ。天気は雨かもということだったが程よい曇り空だった。雨の心配もあったが、パラつくぐらいでほとんど降らず。

昨年の10月の大会は暑かった。しかもこの大会、グループ総当たりで朝から午後3時ぐらいまでずっとテニスを続けるのだが、暑さに負けると昼食が喉を通らず、午後にはスタミナ切れを起こしてしまう。

だが、今年は違った。暑くないというだけでメンタルをやられずに済んだ。結果は20組中16位と振るわなかったが、とにかく楽しく試合をすることができた。下は20代、上は80代という年齢差の中で、朝行くまで誰とペアを組むかも分からないというのはかなり特別な体験である。

ホテルで少し休んだ後は松江宍道湖の湖畔のレストランRACINE(ラシヌ)で懇親会。懇親会が始まる前の夕刻のひと時、夕日がオレンジロードを作り、奇跡のような光景を見ることができた。

RACINEでのお食事はとても美味しく、また、みんなテニスを通じて仲良くなっているので話も尽きない。

二次会では、お店でラグビーを観戦しながら、更に交流を深めることができた。来年は岡山で、その次は米子での開催である。

関係各位、本当にありがとうございました。

始末書を「形式的なもの」にしない

昨今、「働き方改革」や「テレワーク推進」によってバックオフィス系の作業が爆発的に増えてきて、特に勤怠管理などは慎重に行わなければならなくなってきた。よって、会社経営が労働基準法に抵触していないか確認するために頻繁に社会労務士さんに連絡を取るようにもなった。

その中で、行動を修正していただく必要がある従業員のかたにどう伝えれば良いかは大変悩むのだが、その都度、社労士さんは「始末書を書いてもらう」ということを提案してくださる。

始末書?なんか、よく刑事ドラマで新米のドジな刑事が書かされているやつ?なんか形式的な感じがするやつ。

と思っていた。

が、社労士さんの口からたびたび「始末書を書いてもらって」という言葉が出てくるので、試しに書いてもらうことにした。

すると、まあ、奥さん、これが意外と良いんですよ。

もともと「常識」というのは実にあいまいな形をしている。たとえば、たびたび遅刻をする人がいるとして、その人がなぜ毎回遅刻をするのかについて、実は本人が遅刻という概念をあいまいに捉えているため、なぜ相手が怒るのかが分からないというようなことが、世の中では多く発生している。

「10時に集まろう」という約束に対して、よく遅刻する人のうちの一部は「だいたい10時ぐらいに行けばいい」と思っているので、「10時5分前も10時5分過ぎもだいたい同じ」ぐらいにしか考えていなかったりする。

「10時に集まろう」と言ったら(日本では)「10時より少し前には到着できるように出発するものだ」という「常識のようなもの」があるが、明確にそのことを認識しないまま大人になっている人は何人もいる。

少し前に初めて中国人のかたを採用したときに、日本で働く心構えを指南してもらおうと思って、知り合いの中国人社長のところに彼を連れて行ったときに、中国人社長は「遅刻をしない」「嘘をつかない」「郷に入っては郷に従え」という三つのことを教えていた。こうやって言語化して伝えてくれる人がいるというのは大事なことだ。

始末書を書いてもらい、それを添削したり、内容について対話したりすることで、個人の中であいまいなままになっている常識的なものが浮き彫りになっていく。当人が「はっ。今までなんで自分が社会生活の中で怒られていたのか分からなかったが、社会の多くの人にとってはこれが常識だったのか」などと気づく瞬間があったりする。それをちゃんと文章に落とし込んでもらことで始末書は完成する。

始末書は「書かせて終わり」にせず、内容について語り合い、会社側と共に完成させるものになればそれはそれで有効なツールになると思う。

夫の新作マーボ情報

昨日は夫が麻婆豆腐を作った日であった。 先日「前に麻婆豆腐作ってから時間が経ったからそろそろまた麻婆豆腐作ってもいいかな?」と許可を求めてきたので、「良いよ」と許可を出しておいたのだ。

ネタはまたしても「丸美屋の麻婆豆腐の素(中辛)」である。

私のほうが遅く帰宅したので、すでに出来上がっている麻婆豆腐を見ながら夫に「今日はうまくできた?」と訊いたら「できた!」という自信に満ちた返事が返ってきた。

どれどれ。 と、一口食べると、確かに!少しピリ辛感が足されていて、味がいつもの麻婆豆腐の素だけで作った時よりも複雑になっていた。前回のものより美味しいよ!

あとで訊いたところ、チューブの「おろしショウガ」と「おろしニンニク」を足したとのこと。「自分で調べたの?」と訊いたら「麻婆豆腐の箱に書いてあった」とのことである。「豆板醤がどこにあるか分からなかったから足せなかったので、代わりにショウガとニンニクにした」とのことで、偉い。偉いぞー。

豆腐の角もちゃんと立っている。反省点は「片栗粉を早く入れ過ぎてしまった」とのことだが気にならなかった。

もう麻婆豆腐の写真は見飽きたかたもおらるでしょうが、引き続き夫の成長物語を暖かく見守っていただきますようよろしくお願いいたします。