登場人物を多くしたい

最近、私が職場でよく口にする言葉に「登場人物を多くしたい」というものがある。

実は今の会社に入って何とか受託開発を軌道に載せたいと思っていたころ、自分で仕事を取ってきて、自分で作って、自分で納品に行って、自分で請求書作って、みたいなのがひどく恥ずかしかった。なので、あたかも製造する人は別に部隊がいるような風を装って打ち合わせしたりもしていた。ネットの調達システムで見積りを出す時に「営業部長」と名乗る自分と、承認する代表の自分がいたりした。

そのあと、私の他に役員二人体制になって三人で動くことが増えたけれど、三人だけではなくてもっとたくさんの人を表に出していきたいなという欲が芽生えてきた。なので、敢えて私は引っ込んで別の人を出す。そうすると、今までは私にすべての連絡が集中していたけど、他の人が窓口でやり取りが進むことも増えてくる。

外から見える登場人物をできるだけ多く、バリエーション豊かにしたいなあ。と思う。お客さんとの相性を見定めて、「ここは私が対応しよう」「ここは先方も若手が出てくるからこちらも若手が良いかな」などと調整できるようになった。それぐらいに、少しずつだけど会社の人材が揃ってきているのを感じる。

いろんな登場人物を出すことに慣れていない会社は、外から見えるキーマンが少ないので、その人に仕事が集中しがちになり、その人もたくさんの仕事を抱えがちになるのでは、というのもたまに心配になる。

そんなわけで、わが社においてはまだまだ私が前に出てしまうこともあるけれど、いろいろな人を前に押し出していって他社さんから「フィネットは人材の層が厚いなあ」と思ってもらえたら嬉しいなと夢見ている。

他者と繋がる

家事や学習で他者の力を借りられないだろうかとずっと考えていた。つくづく一人で勉強できないタイプなのでね。

いろいろと習慣化について調べていたのだが、私の好きな数学・物理系YouTuberの人が学習手法についてしゃべっている回を見て、「みんチャレ」というアプリを試してみることにした。

これは5人までのチームを作ってその中で目標を決めて、各自が成果を写真でアップして一緒に励まし合ったり褒め合ったりするサービスだ。ほかのメンバーがアップした報告に「OK」ボタンを押す。チーム全員が報告とOKがし合えるとボーナスコインももらえる。一方、ちょっと厳しい側面もあって、チームによっては「○日以上報告がなければ強制退室」というルールがあったりする。

私が最初にしたのは「死ぬか掃除するか(笑)」という、掃除を報告し合うチームだ。以前は「(笑)」がついていなかったが、それだと迫力ありすぎてチームに参加する人がいなくなったので、現オーナーがチーム名に「(笑)」をつけたらしい。

にしても、良いね。名前が。掃除できなければ死ぬという不退転の覚悟で挑む。それぐらいだよ。私にとっても掃除ってのはね。

今のところ、皆さんの立派な掃除ぶりにビビりながらも、日々の掃除を朝のルーティンに入れることができるようになった。下の写真は初日のチャレンジで報告に使った「階段の拭き掃除の写真」である。

しかし、階段というのは難易度からすると低い。やはり水回りなどが強いだろう。レンジフードをピカピカにした写真を繰り出してくるツワモノもいる。

最近では朝起きると一番に「今日はどこを掃除して報告しようかな」を考えることから始まる。出勤までの限られた時間で達成できる掃除場所はどこだろうか。普段は腰が重くなかなか着手できてなかった場所はどこだろうか。そして何より、それなりに報告写真が映える掃除はなんだろうか。

そんなことを朝目覚めて一番に布団の中でつらつら考える。

なんなら日中も、「明日の掃除は何でキメてやろうか」などと考えたりもする。

いくつものチームに入っても良いので、掃除以外にも学習系のチームにも入っている。学習系のチームにはドローン操縦士の資格学習やPythonの学習をしている人もいて、私でも馴染めそうだなと安心している。

食後の眠気(疲労感?)対策

集中力が下がる原因のひとつに食後の眠気や疲労感があるなあと思って悩んでいたら、ちょっと前に読んだコミックエッセイに「難消化性デキトリスン」が良いと聞いて自分も食前などにドリンクに混ぜて飲んでみたら食後の眠気がなくなったという話が描かれていて、私も真似っこ。

糖質の吸収がゆるやかになるため、血糖値が上がりやすい人に良いらしい。さっと溶けるし、味もしない。さっそく試してみてるけど、眠気や疲労感がなくて一日の集中の度合いの波がなくなっていい感じ。しばらく続けてみよう。

ロールモデルは要らない

昨年末頃に朝日新聞にこんな見出しの記事が掲載されていた。「女性役員を25年までに19%」。 政府方針として、「女性役員を登用していない企業をゼロにする方針」を示し「30年に30%以上」を目指す。

なぜこんなことを政府が決めたのか。「女性も含む多様な目線で豊かな社会や企業を作るべき」だからではない。「国際的にみても日本の女性役員の比率は低く、投資家からの目線が厳しいから」だ。「多様性への取り組みが悪いために投資家が株主総会で議案に反対したら困る」からなのだ。

そして、今日。

今朝の新聞の「けいざい+」のコーナーに「女性管理職を増やせ」という記事が載った。

この記事の最後はこう締めくくられていた。

女性管理職の数を増やすだけではない。従来の管理職像とは異なる、多様なロールモデル作りという問題も横たわる。

ロールモデル。

私は社長に就任するにあたり、ずいぶんとこの言葉に苦しめられてきた。身近に私が目指せそうなちょうど良い女性社長のロールモデルがいなかったから。

やはりトップは男性でないと駄目なのか…。 なんども打ちひしがれた。

そんなある時に、「ロールモデルはもう要らない」というようなネット記事を見かけた。私はその記事を何度も何度も読み返し、救われたような気持ちになった。その記事のことはもううろ覚えだが、女性の筆者が働く姿を見て「私はあなたのようにはなれないし、なりたくない」と言われたというようなことが書かれていた。そして、「ロールモデルを探すことはやめた方が良いのでは」とも書かれていた。

私はその記事を読んでハッとして、それからは自分の性質や肉体、これまでの経験に合った経営理念を作り出そうと思った。そして考えに考え抜いて、「私のように体力もお金もコネクションもない人間でも、唯一できるのは頭を使うこと。正しい判断をすること。ITエンジニアのため、ということについてすぐれた判断が誰よりもできる社長になることを目指そう」と気づいたのは、社長になってから5年ぐらい経ってからだった。

社長になった人が、大企業の社長など成功者の本を読み漁ったりすことはよくあるが、他人をロールモデルにしたところでうまくいくことはない。私はそれに気づいてからはもう、成功者と言われる人の本はほとんど読まなくなった。

今、自分がどう在りたいのか。自分の会社をどうしたいのか。

昔、自分よりも大きな会社を訪問した時に、自社の社員数が少ないことが(なぜか当時は)恥ずかしいと思ってい私は、「うちの会社なんか…」というような自分を卑下した言い方をしてしまったことがあるが、その時に相手のかたに「でも、山本社長がやりたいことを実現できているんでしょう?」と言われて、それでハッとしたこともある。

自分が考えて、試して、実行した結果起こったことは恥じることは何もない。誰かの真似をすることよりも、自分の頭で考えること。それでしか自分のやっている経営に誇りが持てることはない。

ここに書いたエピソードはもう、十年以上も前のことばかりだ。

今、ネットを「ロールモデル いらない」で検索したら、「もうロールモデルなんていらないのではないか」というような記事はたくさん出てくる。

なのにまだ、「ロールモデル作り」という言葉が新聞に踊る。大事なのは、ロールモデルに縛られない自由な目線で他者を認めることなのに。

久しぶりの東京連泊

普段、横浜泊が多い私であるが先週の後半は久しぶりに東京に連泊した。

最近、時折交流している麻布にある会社は、東京タワーが間近に見える場所にあるので、訪問するとビルの屋上から東京タワーを眺めるのが習慣となっている。その時(17時ぐらい)に、その会社のかたが「東京タワーのライトアップは、夕暮れ時だけの特別のライトアップをしているんですよ」と教えてくだった。

その、夕暮れ時のカラー(写真左)、そして、夜はまた冬バージョンのランドマークライト(写真右)を写真におさめたのだが、正直、スカイツリーのライトアップが日々変わることは知っていても、東京タワーのことはあまり気にしてこなかったなと思ったのであった。

ちなみに、今の東京タワーのサイトはかなり攻めているので、そちらも必見。

www.tokyotower.co.jp

さて、週末は別件で上野の鈴本演芸場で人生初めての寄席。3,000円で落語だけでなく色物と呼ばれる手品や漫才や紙切り、曲芸などが挟まって、14もの演目を楽しめた。テレビで観る落語と違って、声の張り艶が半端ない。お弁当やアルコールを持ち込んで、午後いっぱい、あるいは夜たっぷりと楽しめる娯楽となっていた。私は今回は金馬さんと柳家小ゑんさんの落語、それから林家楽一さんの紙切りが楽しめた。

その日の夜は、浅草の茶寮一松で幇間さんと芸者さんの芸を楽しみながらの会食。幇間さんとは、日本で6人しかいない男芸者さんであり、落語とはまた少し異なる艶っぽい話芸を楽しませてくれる。お座敷に来られた幇間さんは松廼家八好(まつのや はちこう)さん。お会いするのは二度目である。2月に出る週刊現代で特集が組まれているとのこと。

相撲のために両国へ足を運んだことはあったが、今回はまた違う江戸の文化を楽しめたことは大変に良かった。

そして、私の今回の東京泊は、知人女性とホテルの部屋で部屋飲み(といってもコーヒーで)しながら彼女が「国際ロマンス詐欺」に遭いかけたという話を聞いたのがクライマックスであった。

大人になってからの友達

テニスを習い始めて丸四年が経った。

テニスを始めたばかりの頃はテニスを一緒にする友達が欲しくていろんな人に声をかけていたが、今ではテニスを一緒にする仲間が増えた。

そして、テニススクールではレッスン(日曜の午前中)が終わったあとでランチを一緒にする女友達ができたことが一番嬉しい。平素は右を見ても左を見ても男性、ということが多いので、とにかく女友達とおしゃべりするのが新鮮で楽しい。

多いときで7~8人。先日の日曜はみな忙しく私含めて3人だった。 女同士の話なので更年期や介護などの話も多いが、先日はもっぱら「上位のクラスに上がりたいがなかなか上がる糸口がつかめない」「上位のクラスに上がれたのは良いが周囲についていけなくてつらい」などという話をした。

そうして、私は二人の友から「あのコーチのクラスを受けると良いのではないか」「レッスンが終わってからもコーチを捕まえてどうしたらいいか厚かましく訊いたほうがいい」などのアドバイスを受けた。

私がテニスが上手くなれないという苦しみは(当然、あとの二人も同じ悩みを抱えている)、個人のものであり、私のテニスが上手かろうがどうしようが大勢に影響を与えるわけでもないただただ業が深いだけの話だが、そういう個人の悩みを深めることを「決して間違っていないよ」と励ましてくれる友の存在は大きいなと思ったのであった。

日曜のランチの後、つらつら考えてさっそく月曜の夜に「このコーチはしっかりと指摘をしてくれる」というコーチのレッスンクラスを予約したことを二人に報告し、それぞれから「頑張ってね」と励まされた。

そうして、いろいろとコーチに遠慮せずにからもうと強い決意を持って、月曜の夜のクラスに行った。しかしながら新たなクラスに行った緊張があり、力み過ぎた私は力み過ぎていることだけを指摘されてレッスンを終えたのであった。

がっくり。

レッスンが終わったのは夜の22時である。 寒波で冷たい風が吹く駐車場に出たところで、「ゆかりん!」と呼ばれる声がしたのでそちらを見ると、テニス友達の一人が仕事帰りだといって私のレッスンが終わるのを待っていてくれた。

「心配だから待ってたのよ」

と言う。

「わーん。今日は力んじゃって、すごく調子が悪かったよう」

と嘆く私の手を握ってくれて、差し入れのお菓子まで渡してくれた。

帰宅する道すがら、「力み過ぎてしまう」自分について改めて考えていた。男性と一緒のレッスンを受けることも多く、ついついパワー負けしたくなくて力を込めてしまう。それは私の生き方そのもののようだなと思った。あと、何歳からでも年齢を超えてお友達ってできるんだなあ、幸せだなあと思ったのであった。

帰宅すると、私が差し入れで持ち帰ったお菓子を見た夫が「今日あたりゆかりんがなんかお菓子を持って帰ってくるんじゃないかなあという予感がしていたんだ」と嬉しそうに言いながらお菓子に飛びついた。「お菓子持って帰ってくる予感」て。子供か。

今年の生き方

1月もあと10日あまりになったな。早い、というよりは、「今年に入ってから濃密だな」と感じながら生きている。「濃密=充実」なのかもしれない。今年は目標設定や豊富みたいなところから少しずらした感じで一年を送ってみようとしているからかもしれない。

だいたいにおいて、年頭に「今年の目標」を立てるのは、かなり粒度が大きいことが多いので年頭から日が経つうちに途中で見失ってしまう。なので、今年はこれまで一度も買ったことがない占い本の類を買って、日々の占いに添って生きてみようというのをやっている。占いといっても「今日はラッキー」「今日はアンラッキー」みたいなことを確認するのではなくて、その本はどちらかといえば、「こういうことを意識して」「こういうことに気を付けて」などという指南する感じのことが書いてあるので、それを少しだけ意識するだけの話だ。たとえば、「今日は昼に嫌な(人に会う)会合があるなあ」と思っている日に「昼間は問題なくこなせるよ」と書いてあるから、それを信じよう、とか。いつもは自分でお弁当を作って持参して昼を済ませるのだが、「いつもと違う行動をとろう。ランチのメニューを違う感じのにしよう」と書いてあったら一人で外食をしてみるとか。

また、月単位で1月のアドバイスは「単独行動をとってみよう」とか「休息をちゃんととろう」とかなので、それを意識している。思えば、私が疲れることの要因のひとつに「寂しさ」があるのではないか。みんなが集って楽しそうにしていると何となく孤独を感じてしまうので、無理に顔を出す。そうやって顔を出す場所が増えると、自分が本当にやりたいことから離れて、人とワイワイすることが目的になり、結果疲れてしまう。

一人でいることは悪いことではない。自分が疲れているかどうかも自覚できるし、一人で歩くことで新しい発見がある。

そうやって、今年は「占いを少し意識した日々を送る」というのを頭に置いている。そうすると、一日の終わりの満足度が各段に高まる。

大きな目標をぶち上げるのではなく、365日中360日ぐらいは実行できそうなルーティーンを作る、そうして、知らぬ間に大きなことが達成できる、という考えでスタートした一年、今のところ好調だなという感じだ。