練習していること

年度でさすがに忙しく、書くことを思いつかないので「はてなブログ」の「今日のお題」より「練習していること」について書く。

ここ数日、久しぶりに万年筆や筆ペンで手書き文字の練習をしている。社名変更やら50周年やらで忙しくなってしまったので以前習っていたペン字教室をやめて2、3年経ったのだ。もう字を書くモチベーションは下がり切っていたのだが、最近、万年筆を使って絵や日記を書いている人のSNSを見つけて「書く」っていいなあと思って、ふたたび文字を書きたい思いが再熱している。

幸いにも、ペン字教室を辞める時に先生からいただいたテキストがどっさりあるので、それを毎朝少しずつ練習に使っている。

そういえば昨日たまたま、ペン字教室が入っている建物で仕事をしている事務局員さんが訪ねてきてくれたので、ペン字の先生への、「今は一人で練習しています」という伝言を伝えてください、とお願いしておいた。

事務局員さんはさっそく伝えてくれたようで、今日、先生からメールが来た。私のことを「私のお母さん--山本さん」と呼びかけられている。私より年配だと思うのだが、なぜかいつも私はその先生の「お母さん」という設定になっていて、何かあると相談されていたっけなと思い出した。

菓子パンとちくわ

「お金なんてただの数字」、ごくたまにそう思ってみることは可能だ。特にキャッシュレスのシーンも増えた今では。

一方で「年齢なんてただの数字」という言葉もあるが、これは少し信じにくい。経年による外見の変化、体力の低下は事実として年齢を突き付けてくる。

ところで、私のテニスのお友達で73歳になる春子さん(仮名)という女性がいる。春子さんはとにかくパワフルなかたである。毎週、自分が主催する登山のサークルの仲間と一緒に登山をしているのだが、彼女の登山のグループラインには100名を超えるメンバーがいる。また、テニスも週に何度かやっているが、自分が慕うコーチがいるからと夜の8時半からのレッスンに行ったりしているし、朝練をしようということになれば朝の6時半から参加する。テニスの錦織圭選手のおっかけなので、ある時は有明コロシアムでテニス観戦をし、また今のシーズンは信州にスノーシューを楽しみに行ったりする。年末年始はアメリカにいる娘さんの元に二週間ほど行き、そこで強盗団を警官が取り押さえるシーンに立ち会ったりという武勇伝を聞かせてくれる。アメリカから帰国したら、すぐ翌々日には山登りかテニスをしているという具合だ。まだ仕事もしている。

ところで先日の日曜は山の縦走大会があり、ボランティアで参加者を募り、自身も参加していた。ところが生憎の雨ということで協賛で提供された菓子パンとちくわが120個余ったという。「へ~」とインスタで眺めて感心をしていたのだが、昨日、夜8時にテニスのレッスンを終えた私を待ち受けたように春子さんがテニススクールで声をかけてきて紙袋を渡してきた。中には数個の菓子パンとちくわが入っている。「この時間に来たらゆかりんさんに会えるかと思って」と言う。そして、他のレッスン生やテニススクールの職員さんたちに菓子パンとちくわを配っていた。

「明日からまた山旅に出かけるから」と、腐らせてしまわないようあちこちに配り歩いていたのだった。

春子さんの口から「疲れた」という言葉を聞いたことは一回もない。いつも、何かしら予定を作り、せっせとあちこちに行き、そして年齢問わない多くの友人を持っている。春子さんを見ていると「年齢なんてただの数字」であり、年齢という呪いをかけるのはいつも自分自身なんだなあと思わされる。

ところで菓子パンは地元のパン工場の協賛で提供されたことは分かったのだが、ちくわはどういう経緯で?と思って調べてみたが、なるほど、ここいらにはちくわ工場もあるんだなと知った。

あみだくじ

先週の土曜の19時に、私は自分の住む地域の公民館に向かった。年度末の会計報告を聞いたり、次年度の役員を決めたりするために、毎年3月に召集される。

会計報告は滞りなく終わり、次年度の役員選出の時間となった。例に漏れず、誰も立候補する人はいない。通常であれば輪番制を取るのがいいだろう。しかしうちの地域はそうはなっていなかった。次回から輪番制を取ろう。そうすれば揉めないし、次の番が回ってくる人は心の準備もできるね。ということで話はまとまった。

しかし、初回だけはそうはいかない。誰が輪番制に移行する際の最初の代表になるのか。

いろいろ譲り合った結果、直近で何の役もやっていない私を含む5名まで絞り込まれた。そのうち4名が女性、1名が男性である。中のひとりの女性などは「私はパソコンが使えないから」と震えるように言った。「私もパソコンが使えない…」と言ってみたかったがさすがに無理があるので黙っていた。こうなったらやりたくないのは誰も一緒だということで、「あみだくじ」で決めることになった。

5名の中の唯一の男性氏は、体型が少し丸っこくて、丸い眼鏡と髭がとても似合っている面倒見の良さそうな中年の人で、女性から言われてあみだくじを作り始めた。一人の女性が緊張感を緩和しようと思ったのか、唐突に男性に向かって「肌、きれいですね」と言った。男性は謙遜しながら「お風呂上りなもので」と答えた。その会話はとてもほっこりとして良かったのだが、だからといって「これからあみだくじを引く」という緊張感を大して緩和するものでもなかった。

そうして、あみだくじに見事当たったのは私だった。普段、くじというくじに当たったことはないというのに。

そのあとは、みんな、私にとてもやさしくしてくれた。

最近の夫ご飯

夫のご飯を時々載せていたが、最近はあまり夫の作ったご飯を載せていなかったので久しぶりに載せておこう。というか、最近あまり夫の作った料理を食べていない。夫は基本的に木曜日に料理をするのだが、木曜日に出張に行ったりと家を空けることが多いのだ。でも、作り置いてくれれば翌日食べることもできる。

⇓これは先週の金曜日に作っていたポトフ。

ポトフは夫のレパートリーに最近加わった。すでにスーパーで「茹で野菜」として売られている加工されている野菜と、ウィンナー、それに水を入れてゆだったら粉末コンソメで味をつけるだけなので、夫としては「カレーより楽!」「しかも肉(ウィンナー)も野菜(加工済)も摂れる」ということなので、一品での万能料理なのだ。

⇓これは昨晩焼いてくれた冷凍餃子。餃子だけでは野菜が足らないので、レタスを千切って添えてある。あと、アマノフーズの卵スープもついていた。

少し羽根の部分が焦げてしまったと言っていたが、全然大丈夫!ありがたくいただく。

ちなみに夫のレシピは今のところ

  • 麻婆豆腐
  • 回鍋肉(クックドゥーなど使用)
  • カレー(グルテンフリーのカレー粉+加工済茹で野菜)
  • ポトフ(加工済茹で野菜)
  • 餃子(冷凍餃子)

などというところである。

私は帰宅時間が不安定なため夕飯も朝作って出ることが多いのだが、夫は帰宅してから作る。その時は私の帰宅時間を確認してくる。「ぼくは料理が上手じゃないから、出来立てを食べてもらわないと味が落ちる」という理由からだ。もちろん、出来立てを食べさせてくれるのはありがたい。

そんなわけでしばらく登場していなかったけど夫は元気です。

巻き込んでしまった

そろそろ気分も落ち着いてきたのだが、先週ぐらいまではとにかく「みんチャレ」というサービスが気に入っていて、そのことばかり熱く語っていた。なんだったのか。あの浮かれようは。もう落ち着いた。「みんチャレ」は日常の中に静かに潜り込んで、日常の一部に同化してしまった。

ワンシーズンに一度くらい行く洋服屋さんがある。そこで週に何日かお店に立っている店員さんと私は気が合う(と思っている)。私が試着した服をなんでも褒めたおして勧めてきたりせず、私が「なんだか違うなあ」と思ったときはその店員さんも「なんだか違いますね」と言う。私が「良いな」と思った服は「すごく合ってますね」と言ってくれる。別に無理に私に合わせているわけではなく、素直な感想として言ってくれる。

たまにしか行かない上に人生で3度めぐらいに会っただけの人に、私はまたしても熱く「みんチャレ」を勧めてしまった。そのほかにもしばらく盛り上がってしゃべり続けて、私はとても楽しい気分で店を後にした。

そして、夜、ハッとなった。買ったものを袋から出した時、おしゃべりに夢中になり過ぎて店員さんが品物を一つ袋に入れるのを忘れていたのだ。私もそれに気づかず帰宅してしまった。どんだけおしゃべりが楽しかったんだよ、と反省しつつ、「まあ、近日中にお店に寄ればいいか」と思って寝た。

翌朝、私が「みんチャレ」アプリを開いた時に、私が入っているチームに新しい人が入ってきていたので、「はじめまして!」と挨拶をした(グループラインみたいな吹き出しの会話ができるのだ)。そうするとその新しい人が「ゆかりんさん、分かりますか?」と返してきた。それですぐ気がついた。洋服屋さんの店員さんが「みんチャレ」で私のアイコンを探してチームに参加してくれたのだ。そこしか私に連絡を取る手段がなかったので苦肉の策とも言える。「私、忘れ物してましたよね?」と問うと、「そうなんです。お話に夢中になってしまって」と返事が来た。が、ここはチームのチャットであり、私的な会話はあまりできない。私は取り急ぎ「そちらに取りに行きますね」とだけ伝えてやり取りを終えた。

そんな経緯があって、今、洋服屋の店員さんは私と一緒に掃除のチームに入って日々頑張っている。無理やり巻き込んじゃったかなあという気がしないでもないけど、面倒になったらチームを抜けてくれても全然かまわない。

時々、アイコンを頼りに私を見つけてくる人がいる。このSNSの波のまにまに。

掃除を依頼するために掃除をする

私は12週に一度、ダスキンさんに頼んで水回り(キッチン、風呂、トイレ)の掃除を依頼している。平日は疲れて掃除まで手が回らないし、土日も仕事の会合などで家事をする暇がない。そのために家事代行というサービスがある。大手を振って頼めば良い。12週に一度、同じ曜日の同じ時間。このサイクルを崩すと調整が大変なのが少し不便ではあるが、その不便さを上回るメリットがある。

さて。私は今、激推しサービスの「みんチャレ」で掃除習慣を手に入れた。平日は無理だと思っていた水回りも、日々こまめにやれば10分ほどで維持できたりもする。なんなら、早朝暗い時間に庭の草むしりまでやったりもするようになった。

ダスキンレディさんの作業時間も当然ながら短くなりつつある。そうなると、このままダスキンを頼み続けるかという迷いが生じる。

しかしながら、当面はまだ来ていただこうという結論に達した。ダスキンさんが来る。プロのお掃除の人が来る。それを迎え撃つという気持ちでダスキンさんが来るときはなぜかさらに掃除をしてからお迎えする。

今朝もダスキンさんが来るからテレワークに切り替えて、朝、ササッと水回りの掃除もしてからお出迎えをした。なんというか、この「緊張感」が大事なのだという気がする。この緊張感に費用を払うという心持が大事なのだ。

もう一つは馴染みのダスキンレディさんと情報交換をするという楽しみもある。新型コロナウィルスが流行り始めたころはお互いに距離を取りながら会話をし「次回のお掃除のときは(コロナが)落ち着いているといいね」って言い合ったのに、その後も長くコロナ禍が続いたことなども、なんだかお互いを励ましあう部分があったなあと思う。今回は私が「我が家はもう築15年だから、この前初めて排水管の清掃を業者さんにお願いしたんですよ」と言うと、ダスキンレディさんが「うちもこの前、排水管から逆流した水が上がってきちゃって大変なことになりました」と教えてくれて、ダスキンレディさんも同じ「家を維持する主婦なんだなあ」と改めて思ったりもした。

そんなわけで頻度は減るかもしれないが、お掃除のプロ目線に対して私は当分お金を払うことと思う。

一人でやりたい人もいる

本日は荒れた天気の中、横浜に来ている。横浜オフィスの共有スペースにバリスタさんが常駐しているので、ここで何か飲み物を作ってもらうのが息抜きなのだが、昨日は2月のスペシャルドリンク「ストロベリー・ホワイト・チョコレート」を注文。2月だからバレンタインデーを意識したメニューなんだろうか。普段は甘い飲み物はあまり飲まないのに、我ながら写真映えを意識したチョイスだなと思った。

さて、先日、「みんチャレ」というサービスを利用している話を書いた。承認欲求を満たすのにちょうどよいツールなので、気に入ってずっと使っている。ものすごくおススメなので調子に乗ってほかの人にも紹介しまくっているのだが、先日、知人女性に話したところ「〇〇さん(ソーシャルゲーム好き)なら好きそう!でも私はなんでも一人でやるのが好きだから無理かな」との答えであった。

日頃、SNSを使い込んでいると「承認欲求がさほど強くない人」の存在を忘れがちになってしまう。なんなら、SNSを介して承認欲求を互いに育てあっているという側面もあるだろう。 なんだか、ハッとして反省した。

そういえばかなり昔のことだだが、会社が推奨するとある資格試験の勉強をする時間が取れないという社員の人に「通勤電車の中でしたらどうだろう」と提案したことがあったが、「電車内で人から見られるのが恥ずかしいです」という返答があって、「なるほど、人前で勉強するのが恥ずかしい人もいるのだな」と思ったことがあった。 そんなことを思い出した。

社長って、多様な社員の内面に想像力を働かせないといけないのだが、しょっちゅう気づかされてばかりだ。