無事でした

ここまで夫の話を書いてきたので、先日の三連休の夫の登山の話の結末を書いておこうと思います。

夫、19日土曜の朝、午前三時ごろ車で富山に出発

以下、翌日の登山本番20日のメモの内容

20日 10:00「ときどき夫の登山状況を確認している」

20日 15:00「これまで結婚して以来、夫が山に行っても全く興味を持たなかったのだが、さすがにこうやってリアルタイムで確認していると、なんか一人で自分と闘っている夫を想像してウルウルしてくる」

20日 15:30「ちなみに登り始めが午前3:55なのでもうすぐ12時間」

20日 16:00「登山計画と照らし合わせてみると、夫、16時には小屋についている予定なのに、2時間ぐらい遅れているような気がするのだが」

20日 16:00「なんとか暗くなるまでに小屋に辿り着いて欲しい」

20日 17:00「夫、このペースだと小山であと3~4時間かな」

20日 19:00「このままだと登山計画より5時間ぐらい遅れて小屋につくのではと心配にあり電話して、少し話をした。途中、道からそれてたじゃん、と言ったら、ショートカットしようとして脇道を進んだらまだ雪が多くて断念して元のルートに戻ったとのこと」

20日 21:00「夫から電話があり、本日は力尽きたのでテントを張って野宿するそう。水も食料もあり、ホッカイロも持っているとのことで、無理をしない決断をしたらしい」

21日 7:00「早朝には野営を解いたらしく、先ほど小屋に到着し、しばらく休んで下山に入るとのこと」

21日 1145「夫から電話あり、アプリは電池を消費するから立ち上げていないとのこと。あと下山まで350メートルだそうな」

21日 20:30「夫から電話あり、あと自宅まで200キロのところまで車で戻ってきたが眠たいので一寝入りしてから帰宅するとのこと。あと、はくのが怖くてろくに胃に何も入れていないとのこと」

22日 6:30「夫、0時回っての帰宅だった。待てずに先に寝てしまった。朝起きたら土産が置いてあった」(この日、夫は通常通り仕事に行きました)

ちなみに水色の◯の終点の段階で20日の20:20ぐらい。このあたりでテントを張って休みました。登山計画では赤丸のあたりの小屋に20日の16時に着く予定でした。

お土産の「白えびせんべい」

夫、登山歴50年以上なんで今まで心配したこともなかったんですが、アプリでリアルタイムに確認できるとけっこうドキドキするもんですね。

ちなみにアプリはYAMAP(ヤマップ)というアプリなんですが、夫はかつてずっと「ヤマピー」と呼んでて可愛かったですね。

夫の誕生日

こんにちは。

今日は夫の誕生日。ついに70歳になりました。

まだ仕事をリタイアしていない夫ですが、今月の19日から21日にかけて、ひとりで富山県の剱岳へ登る予定です。そのために、大山を往復したりしながら、少しずつ体を慣らしてきました。 最近は毎晩、持っていく装備や服の準備に余念がありません。車中泊用のマットを広げて空気を入れたり、寒さ対策のダウンジャケットや雨具なども一つずつ点検している様子。まるで遠足前の子どものようです。

昨日は、もしもの場合に備えての打ち合わせをしました。 富山県警に提出している登山計画のこと、いつまでに夫からの連絡がなかったらどこに確認すべきか、所属団体の事務局の連絡先、何かあったときに連絡する相手 ― そういったことを一つひとつ確認しておきました。

「仕事を辞めてから登ればいいのに」と思わなくもないけれど、きっとそういう話じゃないのでしょう。 “この年齢の、この身体で、この季節に登る” ― そのことに、本人なりの意味があるのだと思います。

とにかく、夫よ。誕生日おめでとう。 そして、気をつけて行ってらっしゃい。

友との再会

こんにちは。

毎日、暑い日が続きますね。

さて先日、何年ぶりでしょうか。ちょっと調べてみたところ、コロナ禍前、2019年頃以来かもしれません。仕事関係で親しくさせていただいていた同業他社の方々と、私を含めて4人で久しぶりに女子会をしました。

久々の再会だったので、積もる話もたくさんありました。

中でも、私の心に深く残ったのは「卒婚」をされた方のお話です。

卒婚とは、離婚はせずに戸籍上の婚姻関係を維持しながら、夫婦がそれぞれ自由な生活を送るという形のことで、日本ではここ10年ほどで徐々に広まってきた印象です。

その方は、3年前に大きな病気を患ったことをきっかけに、これからの人生をどう生きるかを真剣に見つめ直したそうです。

「家事に、仕事に、育児に──と、これまで全力で走り続けてきた。あまりに一生懸命だったから、その間の記憶がほとんどないくらい」とのこと。そして手術を経て、本当に自分が求めていた暮らしを考えたときに、「一人暮らしをしてみたい」と思ったそうです。

もちろん、ご主人は最初は完全には納得していなかったようですが、彼女の性格をよく知っていたからこそ、最終的には理解してくれたのだとか。

私たちの中では一番小柄で、おっとりとした印象の彼女。でも、勤めている会社では管理職として活躍し、今は一人暮らしの中で自分の時間を満喫しているそうです。

病気はきっと大変だったと思いますが、だからこそ見えてきた「本当に求めていたもの」があるというのは、とてもよく分かる気がします。

一方のご主人も、これまで彼女に任せきりだったお金の管理を自分でやるようになり、人として成長しているのだとか。これもまた、卒婚のひとつの成果なのかもしれません。

こうして同じ時代を生きてきた友人たちと再会し話すことで、私自身の気持ちにも大きな変化がありました。

最近は年齢的な壁を感じて、落ち込んだりすることが増えてきました。でも、同世代や、中には一回りも上の友人のいるこのグループで再会してみて、彼女たちのいきいきと毎日を楽しんでいる様子に「ああ、私って小さなことで悩んでいたなあ」と、少し恥ずかしくなり、前向きな気持ちに切り替えることができました。

7月ですね

こんにちは。

気づけば7月。1年の後半が始まりましたね。

今月は、我が家にとっても大きな節目があります。なんと夫が今月の15日で70歳を迎え、長年続けてきたエンジニアの仕事をリタイアすることになりました。70歳まで現役エンジニアを貫いたというのはやはりすごいことだなと、改めて思います。

そんな夫ですが、リタイア前の今もまだまだ元気。先日、「大山・野田山」に登る日帰り登山計画を立てていました。しかも、そのルートを一日に三往復するというチャレンジ付き。

↓ 登山計画はこんな感じ

朝6時に出発し、高速道路を使って現地へ。帰宅予定は夜の10時を過ぎるというハードスケジュールです。ちなみに、同じコースには前の週にも挑戦していたのですが、その日は気温が低すぎて体が思うように動かず二往復で断念。「今週こそ三往復する!」とリベンジに燃えて出かけていったのでした。

結局帰宅の遅い夫を待ちきれずにその日は私は先に寝てしまい、夫が無事帰宅したのを確認したのは翌朝。ちょうどテニスに出かけようとしていた私がリビングに行くと、早朝にもかかわらず夫が起きていて、「あれ?どうしたの?」と尋ねると…。

実は、下山中に強い吐き気に襲われ、帰宅後もしばらくは水も飲めないほどの状態だったそうです。

後から聞いたところによると、「12時間連続で登山を続ける練習」だったそうです。体力的に心配ではあるけれど、年齢に抗うというよりも「年齢と向き合いながら挑戦を続ける姿」は、見ていて励まされるものがあります。

かくいう私はというと四日連続でテニスに通っていたのですが、さすがに四日目は限界。テニスから帰宅するなり、意識を失うように寝落ちしていました。

年齢を重ねるほど「できること」は減っていくように感じることもあるけれど、人生の少し先を行く夫を見ていると、「どう目標設定するか」にはまだまだ工夫の余地があるなあと感じさせられるなあ。

などと思った7月のはじまりでした。

二人目が現れること

前にも書いたかもしれませんが、私がかつて経営の悩みをひとつ乗り越えられたのはリーダーシップではなく「フォロワーシップ」の大切さを教わったからでした。

有名なTEDトーク、デレク・シヴァーズの「社会運動はどうやって起こすか」では、このことがとても上手に語られています。10年以上も前の動画ですが、何度見ても新しい気づきがあります。

この中で印象的な言葉があります。

「最初のフォロワーというのは過小評価されていますが、実はリーダーシップの一形態なのです。」

誰かが一人で踊り出したとき、「何あれ?」と周囲は冷ややかに見ているものです。でも、その行動に最初に加わる「第二の人」が現れた瞬間、それはムーブメントになるのです。

私が会社の代表になったとき、よくあるように「一人で闘っている感じ」がありました。でも今では、「社長って孤独でしょう?」と尋ねられたらこんな風に答えます。

「そんなことないよ!仲間を作ることができるし、仲間が仲間を作っていく様子にもしょっちゅう出会えるよ!」

この感覚の転換は、自分が何かを必死にやっているときに誰か一人が「僕も、私も、やりたい」と名乗り出てくれる瞬間に起こります。コミュニティを運営した経験がある人なら、そういう「ひとりじゃなくなる瞬間」がふいに訪れることを知っていると思います。

たとえばずいぶんと昔、私が社内で筆記試験の仕組みを考えていたとき、「自分も一緒に作ってみたい」と言ってくれた社員がいました(今の某役員です)。その言葉がきっかけで、社内採用における筆記試験の仕組みが形になりました。

最近では、私がライフワークのように扱ってきた Raspberry Pi(ラズパイというマイコン基盤)で新人研修をしていたら、総務のスタッフがふとこう言ってくれたのです。

「私も自分でラズパイを買おうかどうか迷ってるんですよね。」

それをきっかけに、なんと社内に「ラズパイ女子部」が誕生しました。リーダーシップとは「先頭に立つこと」だと思われがちですが、最初のフォロワーがいて初めてリーダーはリーダーになれると思います。

私は仲間に恵まれています。そしてその仲間たちがまた仲間を巻き込み、想像もしなかった広がりが生まれています。これからもそんなフォロワーシップに支えられながら、社長としてできることを模索し続けたいと思います。

パラドキシカル・エフェクト

先の土曜日の話です。

その日は朝から曇り空で雨が降りそうな天気でした。気圧が低いというだけで気分が下がり気味だったのですが、更に、翌日には父の七回忌法要が控えており施主として多忙だったため、かなり気分がダウナーな感じで足取り重くテニススクールのレッスンに向かいました。

ところが、いざレッスンが始まってみると、意外にも調子が良い。後半のゲーム形式の練習でも、自分がポイントを重ねて連勝することができました。レッスン後は、その時の良いプレーを何度も思い返しながら、すごく晴れやかな気持ちで帰宅したのです。

その経験をよくよく分析してみると、これまでの自分のテニス経験でも、「今日はしっかり練習したし調子がいいぞ!」と思った日ほど結果が伴わず、逆に不安や気乗りしない気分で臨んだ日ほど、意外に好調だったということが、何度かあったように思い出されました。

気になって調べてみたところ、これはスポーツ心理学でいう「逆説的効果(パラドキシカル・エフェクト)」と呼ばれる現象のようです。気分が沈んでいると「今日はあまり期待できないな」と思い、余計な力みが抜けて自然体でプレーできる。また、精神的に余裕がないことで、外からの評価や視線を意識せず、純粋に「自分の動き」や「感覚」に集中できる状態が生まれやすい。これが結果として、パフォーマンスの向上につながるのだそうです。

たしかに、自信満々なときほど「今日はやれる!」と張り切りすぎてしまい、かえってプレーが雑になったり、慎重さに欠けてしまったり。私自身、「気分」と「結果」が必ずしも一致しないことを何度も体感しています。

だからこそ、気分が沈んでいること自体は歓迎できるものではないにせよ、「今のこの状態こそが、かえって自分を良い方向に導くのかもしれない」と考えられるようになったことが、今回の一番の収穫だったように思います。

この心理のパラドックスを仕事なんかにも応用できるといいなと思います。

一行日記

良き勉強法を知り、その勉強法を取り入れるべくデスク周りを整えたり、使い易い勉強道具をそろえたりした段階で気持ちが満たされてしまい、いったん勉強のモチベーションが下がるのって、私のなかで「あるある」なんですが、皆さんはどうですか。