「学習」という行為にはいくつかの敵が潜んでいる。
一つ目は、「習慣化の挫折」の問題で、習慣が途絶えた途端に再度の習慣化はとてつもなく力が要る。
二つ目、自分の脳内で沸き起こる「批判の声」だ。「こんなことして何になるんだ?」「この歳で頑張っても今さら遅いし、若い人にすぐ追い抜かれてしまうよ」などの声が、壁にぶつかるたびに脳内に響き渡る。
もう一つ、これもなかなか困ったことなのだ「忘れる」ってのがある。脳のどこかには残っているのだろうが、数日間学習を怠るともう駄目だ。だから一つ目の敵である「習慣化の挫折」と「忘れる」はセットで発生する。
だから最近の私はできるだけ習慣化したいものは毎日5分でもいいから行動するようにはしている。三日ほど空いてしまうと、もうコツコツ積み上げた習慣は途絶えてしまったりするから。
とはいえ仮に毎日学習していても、とにかくびっくりするぐらいいろんなことを忘れる。
たとえば、些細なことなのだが、「Microsoft Wordの表組の罫線を一部だけ消すのってどうしたらいいんだっけ?」っていうのを、私は何度ググっただろうか。あるいは、電子工作をしていて「回路図のアノードとカソードの記号、どっち向きに書くのがいいんだっけ?」っていうのをこれまた何度も忘れている。この手の「忘れ」が発生するたびに、学習の意欲が少しずつ削がれていく。
今、『アンメット』というテレビドラマが放映されていて、とても楽しみに見ている。主人公はある出来事を境に、毎日、昨日の出来事の記憶を失くしてしまう。なので、毎朝、自分が記憶を失ってからここまでの出来事を綴った日記を読み返すところから主人公の一日がスタートする。 よくある設定だし、実際にそのような脳の状態を抱えて生きてらっしゃるかたも多いだろうから「大変だろうなあ」とは思うけど、自分は実際にはそういう脳ではない。そういう脳ではない?本当にそうか?
さっきも何回検索しただろうということをまたしても検索したじゃないか。
先月、出張に行くときにコンビニによく置いてある、手のひらに乗る程度のメモ帳を買った。それ以来、メモ帳に調べものをした結果をメモにとり、たまにざっくり見返すようにしている。アンメットの主人公のように。
メモを取るのが面倒だったり、メモを取ることを忘れていることも多いのだが、一日に一言でもメモをしておくことで習慣が途切れることを少しばかり防ぐことができる。
昨日植えた花の名前、Ilustratorで多角形の角を増やす方法、読んだ本で忘れたくないこと。書いてあるジャンルはまちまちだけど、私は自分が記憶を失う主人公だと思って生活するようにしている。そういうことをとにかく工夫しないと、生活というのは繋がっていかないし積みあがっていかない。
ただしそのうち、お気楽に忘れてしまうほうが自分の人生にとって良いというような日が来たなら、その時はメモを持つのをやめようとも思っている。