他人の成長の不意打ち

管理職として人を指導した期間が長くなってきたり、人を教える職業を長くしてきたりすると、人の成長について見積ることが正確になってくるとも言えるが、たまに予想を裏切って成長する人が出てきたときに不意打ちを食らうこともあるのではないか。不意打ちまでいかなくても、ハッとさせられたり、あせらされたりすることもあるのではないか。

私はテニススクールに通っていて、今、同じレベルに三年半ほど在籍しているのだが、そろそろ上のクラスに上がりたいとずっと思っていた。友達にも「ゆかりさんはいつ上がってもおかしくないよね」と言われつつあったし、自分でも試合に出た時の勝率がよくなってきたりと成長を実感してきたのだが、コーチの認定がないと上のクラスに上がれない。それでコーチに「どうしたら上がれますか?」と訊くと「ゆかりさんは今上がると腕を傷めるから」というような返事が返ってきたこともあった。それならば、スピンにスピンで返すと腕の衝撃が大きいのでスライス(逆回転)を打てるようになればいいのだなと思い、スライスを三ヶ月ぐらいかけてマスターした。新しいフォームを学ぶのはスポーツにおいては結構難しいと思うのだが、一人でコツコツ練習したり、プライベートレッスンを受けたりしてずいぶんと頑張った。

しかしながら、スライスをマスターしてもなかなかコーチの認定が得られない日々が続いた。だが転機は訪れた。私以外は全員私より上のレベルというスクール内のテニス大会に出て、いろいろラッキーが重なって私が優勝してしまったのだ。さすがのコーチも、こうなれば私を上のクラスに上げざるを得ないということで来期からクラスをレベルアップしてもらうことになった。

本当に嬉しい。がしかし、あのスクール内の大会に出ていなかったら私はコーチにどうやって正しく自分の成長を伝えられることができただろうかと思うと複雑な気持ちにもなる。「日頃から上に上がりたいことをアピールし、成長を伝えるチャンスをつかむ」のも大事なのかもしれない。

また違う話になるが、私のところに定期的にいろんな相談をしにくる同業の、立場も私と似たように事業を継がれたかたがいるのだが、そのかたがある時ひどく落ち込んでいたことを告白してきた。何があったのかと訊いてみると、そのかたは「自分がさほどでもないと思っていた部下がこつこつと一人努力を続けた結果、自分が想定しているよりもはるかにできる人材になっていた」ことにショックを受けたようなのだ。

普通であれば部下の成長は喜ぶところであるが、自分がさほど評価していない人が思いがけず成長していることに脅威を感じたのかもしれないし、評価を見誤ったことで落ち込みを感じたのかもしれない。

こういった話を総合してみるに、人は人の成長を正しく見極められるとは限らないし、必ずしも他人の成長を賞賛できるとも限らない。もっと悪い事態(成長を否定したり、嫉妬からキャリアを潰そうとするかもしれない)を引き起こすこともあるかもしれない。

「成長」をどのようにキャリアアップや現状打破に繋げられるかは、それはそれでまた別のスキルとして考える必要がある。