適当に答えるスキルも大事

私の夫は学生の頃の山岳部から始まって、登山、フリークライミング歴が何十年にもなるのだが、スポーツクライミングの知名度が上がるまでは周囲から趣味はなんですかと訊かれて「クライミングです」と答えるのを嫌がっていた。それはクライミングというスポーツの説明が嫌だったようであるが、最近では「なんでクライミングを始めたのですか?」的な質問をされて嫌だったというような話をしていて、「そんなものは適当に答えていればいいのではないか」と一瞬言ってしまったのだが、確かに「なぜ始めたのか」を訊かれるのは私でも面倒かもしれない。

なぜならば、「なぜ始めたか」は本当にたびたび訊かれる質問であり、そんなものは場合によっては適当に答えたらいいのだが多くの人はきちんと答えようとする。相手に「なるほど!」と言ってもらえるような答えを頑張って提供する。そうなるとその一連のストーリーは何かあるたびに繰り返さなければならなくなり、そのストーリーはだんだんと変化せざるを得ない。続いている中で始めたきっかけと異なる動機付けがなされていき、当初の目的は置き去りにされることだってままある。

私は英会話を習っているのだが、習い始めた当初は「なぜ英会話を習うことにしたのか」と訊かれて「会社にアジア系他国籍の人が増えて来て、彼らは日本語より英語のほうが話しやすい人もいるから英語もできたほうがよりしっかりサポートできると考えた」と答えたのだが、実はこれは本当の理由ではない。以前、オーストラリア在住の日本人とオンライン英会話をしている中で「その方が説得力がある」という理由で作り上げられたストーリーなのだ(と後で思った)。現実にはどうかといえば、母語が中国語やマレー語やベトナム語である彼らが日本滞在が長くなってくると彼らの話によれば第二外国語である英語のことは使わないので少しずつ忘れていっているそうだ。なので、私は彼らと英語で話すことはない。彼らはみんな日本語検定のN1(一番難しいレベル)を持っていて日本語の会話に不自由がない。

それはそれとして、昨日も英会話でこんな話になった。英会話ではよく「いつ、~したのですか?」「なぜ、~したのですか?」などの疑問形に答えるやり取りを繰り返す。そしてさらにそこから会話を広げる練習をする。そこでうまく言葉が出てこない人には「詳細に正確に答えようとする」生真面目な人が多い。だけど、訊いているほうはそんなに深い意図はなく質問しているので、そこを詳細にしゃべろうと会話がストップしてしまうと学習が進まなくなってしまうのだ。

だからしょっちゅう訊かれる「なぜ〇〇を始めたのですか?」には割り切って簡単な答えを用意するのだ良いのだと思う。「厳密に言えば本当はこういう理由もあったのだけど」みたいなことを上手に脇によけるというのはコミュニケーション上手になるためにはとても大事なスキルだと思う。生真面目さ、というかサービス精神というか、何かいい感じのストーリーを添えられると素敵かもという見栄というか。そういう気持ちが往々にして余計な働きをしてしまう。

「どうして〇〇を始めたの?」って相手を知るお手軽な質問だからさ、こちらはその時思いついた答えを気軽にシンプルに答えられるようになるといいねえ、と自分に言いたい。