望まなくても終わるもの、望んで終わらせるもの、新たに始めるもの

数ヶ月通っただけの英会話スクールだが、その歴史をあっという間に閉じることになった。スクールが閉校することに決まったからだ。別の系列校に通うのは少し遠いのでこのままいったんは対面での英会話学習を終えることになるだろう。

仕事が立て込んでしまうと休みがちになる私に、事務の女性と講師の先生はなんどかカウンセリングをして励ましてくれていたのでだが急な閉校のご案内である。事務のかたからも「こんなことになって本当に申し訳ない」とあやまられることになった。そりゃあ、最近ではオンラインのスクールもあれば、AIによる会話型アプリもある。英語学習の選択肢は無限に広がった。対面でのスクール形式が下火になるのもやむを得ない。

で、次は自分で終えた話である。

少し前に習慣化アプリ「みんチャレ」を強く推していたのだが、卒業することにした。みんチャレのお陰で習慣化が可能になったこともいくつかあるので感謝はしているのだが、そういう意味では習慣化できた時点でアプリの役目は終わったとも言える。アプリそのものは良い着想だと思うし、アプリの利用者の中にはいったんは卒業したけどまた舞い戻ってきたという人も多いので、アプリが悪かったわけではない。習慣化が苦手な人は一度試してみたらよいと思う。ただ、長く続くチームの人たちとの濃厚なやり取りが「毎日の写真アップの報告」と相まって負担にもなってしまった。

最後に始めるものの報告。

いよいよ今月から近所の公民館で地元老人たち(推定3人ぐらい)と将棋を指すことになった。一ヶ月に一度だけなのでゆるゆると楽しみたいと思う。

気軽に試してみる、合わないのなら無理しない、みたいなことを、今はどんどんやりたい時期なんだよねえ。