先日、「AIのせいで、人が技術ブログを書かなくなり、その結果、AIの学習データが減っていくのではないか」という内容のブログを読んだ。それを読んで、確かに薄々感じていたことだなと改めて思った一方で、だからといって未来が悪くなるかというと、どうもそうは思えないのだ。
ブログが書かれなくなっているのは、技術ブログに限った話ではない。社長ブログはどうだろう。ここにきて、いくつか社長ブログを探してみたが、更新が途絶えているもの、一年に2、3記事しか更新されないもの、あるいはSNSの投稿が自動的にまとめられて載っているだけのものなども多い。
ちなみに、もし社長ブログが減っているとすれば、コンプライアンスへの意識が高まったことも一因なのではないかと思う。社長の言葉が、もはや「個人の考え」として受け取られにくくなった今、気軽に書くこと自体が難しくなっていると私自身も日々感じている。
まあ、それはともかくとして。技術ブログが減っていくのは、やはり少し寂しい。
これまであまり書いてこなかったが、技術ブログというものも書いてみようかな、と、新年にエンジニアたちとしゃべっているときに言ってみた。 すると「それはいいんじゃないか」という流れになった。その場の勢いもあって「じゃあ書こうかなあ」と思ったのだが、帰宅して冷静に考えてみると、私のように「エンジニアリング」が仕事のほんの一部でしかない人間が書くより、そこに集まっていた「エンジニアリングが体の真ん中にある君ら」が書いたほうがいいんじゃないかな、と思ったりもした。きっと、私よりはるかに良い記事が書けるだろうに、などとも思った。

とはいえ、そんな会話もあったので、今年は少しだけ社長ブログに技術寄りの記事が出てくるかもしれない(出てこないかもしれない)。
直近では、一昨年から昨年にかけて、Rails 3 から 7 へと上げるシステムリプレース案件を抱えて、死ぬほど苦労したあとは、あまり技術的な活動もしていない。正直、何か書けるとも思えないが、「弱いエンジニア」としての何かなら、書けるかもしれない。
冒頭の話に戻るならば、AIにとって価値があるのは、完成された正解だけではない。試行錯誤の途中や、うまくいかなかった判断、回り道の記録もまた、貴重な学習データだ。「弱いエンジニア」が書くものは、そういう途中経過ばかりかもしれない。だが、そういうものこそ、人にとってもAIにとっても、案外役に立つのではないかと思っている。
なお補足しておくと、AIは「自己教師あり学習」や「モデル蒸留」といった仕組みによって自己補完的に知識を広げていく手法も活用するため、学習データの枯渇を過度に心配する必要はない、という見方もあるようだ。