私はもう何年来という付き合いの映画サークルがあり、最近でこそ参加がなかなかできていないのですが、それでも年に何度かは顔を出しています。課題作品がメイン・サブ合わせて3本ぐらい決まっているので、そのうちのいずれかでも観てから参加をすればいいのですが、3本とも観るのは困難なのでせいぜい1本か2本観ての参加になります。映画を観た感想を順番に述べるだけのシンプルな会なのですが、課題作品を観ずに参加する場合、観たことのない映画の感想を聞くことになるわけで、そうすると感想の語り手もあらすじなどを交えながら感想を述べてくれたりします。
少し前にもそうやって課題作品を1本しか観ないで参加したのですが、そこにご新規の参加者が来られていました。その方の映画のあらすじの要約がとても分かりやすかったのに少し驚きました。映画を年間50本、100本と観ている人も多い中、あらすじを上手に語れる人というのはほとんどいない。むしろ、語り手の思いが載せられると偏った視点からのあらすじになることが多い。そのため、Aさんから聞くあらすじとBさんから聞くあらすじでかなり印象が変わってしまうこともよくあります。
そんな中で、新規ご参加さんのあらすじがとても頭に入りやすく感心してしまいました。映画は映像で語り、語り手は言葉で映画を再構築する。けれど、その再構築の巧拙には大きな差があるのだと、あらためて感じさせられたのでした。
どちらかというと課題映画を観られていないまま参加することが多く、これまでは良き聞き手であろうと努めてきましたが、語り手のテクニックについて気づきがあったのは今回が初めてだったのでちょっとメモとして書いてみました。