自分の本

先日、書店に立ち寄った時に『自分の本』を見つけて、「そうそう、これこれ」と思って2025年のものを購入した。

文庫本サイズで、中は日付だけ入っている真っ白なページが続いている。

存在は知っていたのだが、買おうとは思っていなかったのだが、先日、知り合いの男性が隙間時間を見つけて今年版の『自分の本』にびっしりと日記を書いているところに出くわした。私よりかなり年齢が上のかたなのだが、細かい字で書き綴っていた。もう何年も続いている習慣ということだ。日付の下に簡単に見出しをつけているとのことで、そこを見るたけでもその日に何があったかがけっこう思い出せるとのこと。

もちろん、日記でなくても、イラストや創作でも、何を書くのも自由だ。影響され易い私は、だからさっそく買った。

実は以前より、ネット上に公開したくない胸のうちを書くこともやってもいいのではないかと思っていた。つらいことも悲しいことも。人には内緒にしたい嬉しいことも。いつからか、アウトプットはSNSに公開する、みたいなことばかりやるようになってしまってからね。人から読まれない媒体に、何が書けるだろう。それとも人から読んでもらえなかったらモチベーションが続かないだろうか。

適当に答えるスキルも大事

私の夫は学生の頃の山岳部から始まって、登山、フリークライミング歴が何十年にもなるのだが、スポーツクライミングの知名度が上がるまでは周囲から趣味はなんですかと訊かれて「クライミングです」と答えるのを嫌がっていた。それはクライミングというスポーツの説明が嫌だったようであるが、最近では「なんでクライミングを始めたのですか?」的な質問をされて嫌だったというような話をしていて、「そんなものは適当に答えていればいいのではないか」と一瞬言ってしまったのだが、確かに「なぜ始めたのか」を訊かれるのは私でも面倒かもしれない。

なぜならば、「なぜ始めたか」は本当にたびたび訊かれる質問であり、そんなものは場合によっては適当に答えたらいいのだが多くの人はきちんと答えようとする。相手に「なるほど!」と言ってもらえるような答えを頑張って提供する。そうなるとその一連のストーリーは何かあるたびに繰り返さなければならなくなり、そのストーリーはだんだんと変化せざるを得ない。続いている中で始めたきっかけと異なる動機付けがなされていき、当初の目的は置き去りにされることだってままある。

私は英会話を習っているのだが、習い始めた当初は「なぜ英会話を習うことにしたのか」と訊かれて「会社にアジア系他国籍の人が増えて来て、彼らは日本語より英語のほうが話しやすい人もいるから英語もできたほうがよりしっかりサポートできると考えた」と答えたのだが、実はこれは本当の理由ではない。以前、オーストラリア在住の日本人とオンライン英会話をしている中で「その方が説得力がある」という理由で作り上げられたストーリーなのだ(と後で思った)。現実にはどうかといえば、母語が中国語やマレー語やベトナム語である彼らが日本滞在が長くなってくると彼らの話によれば第二外国語である英語のことは使わないので少しずつ忘れていっているそうだ。なので、私は彼らと英語で話すことはない。彼らはみんな日本語検定のN1(一番難しいレベル)を持っていて日本語の会話に不自由がない。

それはそれとして、昨日も英会話でこんな話になった。英会話ではよく「いつ、~したのですか?」「なぜ、~したのですか?」などの疑問形に答えるやり取りを繰り返す。そしてさらにそこから会話を広げる練習をする。そこでうまく言葉が出てこない人には「詳細に正確に答えようとする」生真面目な人が多い。だけど、訊いているほうはそんなに深い意図はなく質問しているので、そこを詳細にしゃべろうと会話がストップしてしまうと学習が進まなくなってしまうのだ。

だからしょっちゅう訊かれる「なぜ〇〇を始めたのですか?」には割り切って簡単な答えを用意するのだ良いのだと思う。「厳密に言えば本当はこういう理由もあったのだけど」みたいなことを上手に脇によけるというのはコミュニケーション上手になるためにはとても大事なスキルだと思う。生真面目さ、というかサービス精神というか、何かいい感じのストーリーを添えられると素敵かもという見栄というか。そういう気持ちが往々にして余計な働きをしてしまう。

「どうして〇〇を始めたの?」って相手を知るお手軽な質問だからさ、こちらはその時思いついた答えを気軽にシンプルに答えられるようになるといいねえ、と自分に言いたい。

今年のノベルティ・グッズできました

今年もノベルティ・グッズの季節が来ました。今年のノベルティはパスケースです(ストラップは付属していません)。大人も子どももいろんなシーンで使えるものを、と考えて作りました。

今日はたまたまなんだけど、知り合いの、南極観測隊員を3回経験しているお友達の「ほりっち」がワークショップのために倉敷に来ていてちょっとだけ会えたので渡すことができました。

さっそく首にかけた写真を送ってくれました。

渡した時の笑顔が嬉しいので、今年もこれを持って年末挨拶に回らせていただきます。

10月の絵日記より

10月も一コマ絵日記完走できた。 絵日記に一言英語を添えたpostも続けられている。

今日は10月の絵日記の中で気に入っているコマの紹介。10月12 日(土)~ 10月14日(月)に開催された「第10回“秦の郷”スタンプラリー」に一緒に参加したことを描いたよ。

オープンセミナー2024@岡山に参加した

10月18日に開催されたオープンセミナー岡山に参加した。雨がけっこう降っていた。

私は、弊社がプラチナスポンサーをしていることもあり、また、今回社員が登壇することもあり、早くから参加で申し込んでいた。が、実のところ半分くらいは「雨で面倒だなあ」という気持ちを抱えたまま会場に向かった。

今年のテーマは「のびしろ」だ。セッションのスピーカーも35歳以下という「若い」オープンセミナーになることは予想されたが、予想通り、最初のスピーカーさんから勢いのあるセッションになった。Xのタイムラインでもオーディエンスが圧倒されているのが分かる。

2番手は弊社の松浦さんだ。私は彼の採用から関わっていたので、彼自身が積極的にそういう役割に飛び込んでいくタイプではないということをよく知っている。何事にも真剣に取り組むだけに、却って、取り組んでいる事柄の大きさに圧倒されてしまって自分を低めに評価してしまうところがある。だからこそ、今回のセッションは彼にとってチャレンジだったと思う。

そのあとも次々に熱のこもったセッションが続く。質問者もスピーカーと同世代の若手が多い。むしろ上の世代以上は「ここは若い人の場だから」と遠慮して見守っている感じすらあった。

最後のスピーカーは私がオープンセミナーに参加している頃から知っているいっきくんだ。ここまで折々に彼のライフステージが変わるときに真面目に悩んでいたのを感じていたので、息子の成長を見せていただいたようで感無量だった。

そのほかのスピーカーの皆さんも、どちらかといえば私は、各社の代表の人や管理職の人たちと近い立場なので、どのかたももれなく「うちの子」のように感情移入しながら聴かせてもらった。

懇親会はいつもの「Ryoutei座スタジアム」に場所を移してのLT大会だった。

今回はいつにも増して普段は気後れしてしゃべれない人ともしゃべりたいなあと思っていた。私が気後れっていうのもなんだけど、やはり登壇する人もそうだし、オープンセミナーの実行委員長をはじめとする面々の人も、新たに勇気を出して初参加の人も、みなさん現役で場を作り出している人なので、私からすると「あんまりバリバリしてないいちエンジニア」として気後れしてしまうこともあるのだよ。お話してくれたみなさん、ありがとう。

それで、何人かの人とSNSをフォローし合い、満足のうちに帰宅した。

いつものことながら全体的に女性がちらほらぐらいしかいなかったことは残念だが、それは考えようによっては今後のコミュニティの「のびしろ」でもあるんだろう。

こういう良質なセッションを聴いた直後が一番モチベーションが高いときなので、帰宅してから何冊か技術書を注文したりした。

今年もオープンセミナー岡山の設営者の皆さん、参加者の皆さん、本当にありがとうございました。また次回どこかでお会いできるのを楽しみしています。

「気が多い」

「気が多い」と言われてる。うちの会社の税理士さんに。趣味が多すぎるように見えるらしいのだ。

将棋をちょっとずつ学んでいる。アプリをインストールして、毎日、詰将棋の問題を2、3問。練習対局を1局ぐらい。まだ人とはやっていないが、来年にはうちの地区の公民館の将棋サークルに行って人とやってみようと思っている。合間に羽生善治さんの『こども将棋入門』を読んでちょっとずつ駒の動きや成り方を学んでいる。

というようなことを、しゃべると「また、気が多いなあ」と苦笑される。

最近は、朝日新聞の将棋欄を切り抜いている。これが良いのだ。対局の駒の動きが載っているのは知っていたが、ちゃんと読んだことはなかった。ちゃんと読むと、さまざまな棋士の対局中の服装やら、個人的な趣味や人柄、イベントの時の交流の様子などが載っていて、小さいコーナーだがさすが将棋記者の取材はさまざまな情報が詰まっていて面白い。新聞は資源ごみに出すのが大変だし、購読をやめようかなと思っていたけど、購読を続けていてよかったなあと最近は思っている。

あくまでもちょっとずつだ。一気に頑張ると、急に飽きちゃうから。

とりあえず「仲良くなる」

英会話を習い始めたものの、思いのほか英語の勉強が嫌だった。

という一行で終わりにしても良かったのだが、英会話スクールをサボっていたらスクールから電話があった。正直に「どうしてもやる気が起きません」と言った。もちろん、スクール側は「はい、そうですか」では終わらない。カウンセリングを受けることとなった。

どうやればやる気になるかというのはだいたいうっすら分かっていて、私の場合は日々のルーティンにきちんと組み込めれば大概のことはできるのだが、それがなんだか今回はちっとも上手くいかないのだ。

あれやこれや、講師の人に私の日々のいろんなことを話している中で、私が一コマ絵日記を描いている話になった。スケジュールのマンスリーのページの一日毎の枠に入る程度の小さな絵を描いて某ソーシャルメディアに毎日アップしていたので、そこで英作文をつけるのはどうかというアイディアが持ち上がり、さっそく英会話講師は私のアカウントをフォローし、私は日々、一コマ絵日記とともに英文を添えてアップする運びとなった。

こんな感じに。

なんとも一生徒のためにスクールの講師のかたもご苦労なことよなあとも思ったが、趣味のYouTube動画をアップされているような方なのでSNSの使い方もお上手で、まあ良いかと思って甘えている。

もちろんこの程度のことでいきなり英語力など上がらないが、今の私は「とりあえず英語と仲良くなろう」と思っている。この回りくどいやり方が合ってるのかどうかは知らないけど、最近は毎日英会話のテキストの予復習もやるようになった。

なんというか、回りくどいよね。

いつも私はこういう感じでいちいち持って回って時間をかけてしかコトが成せないのだ。