夫、年末はかなり頑張って大掃除&トレーニングを連日行っており、それで疲れて免疫力が下がったのか、あるいは初詣で感染したのか、風邪をひいてしまいそれがなかなか治らぬまま一週間ぐらい臥せっていた。それでフラついていたこともあり、自宅の階段を踏み外し、肘で体をかばったところ前腕を裂傷してしまい、救急外来で数針縫う羽目に。
包帯巻くの手伝ったりした、という一コマ漫画です。
夫、年末はかなり頑張って大掃除&トレーニングを連日行っており、それで疲れて免疫力が下がったのか、あるいは初詣で感染したのか、風邪をひいてしまいそれがなかなか治らぬまま一週間ぐらい臥せっていた。それでフラついていたこともあり、自宅の階段を踏み外し、肘で体をかばったところ前腕を裂傷してしまい、救急外来で数針縫う羽目に。
包帯巻くの手伝ったりした、という一コマ漫画です。
新年明けましておめでとうございます。 本年もぼちぼち書いていきますので、よろしくお願いします。
さて。前回、2025年版を買ったと書いた『マイブック』。今のところ元旦から毎日日記的なものを書いている。書いていて楽しい。正直、絵を描くのは苦手なので、絵日記の形式だとけっこう大変なのだが、字だけ書けばいいのはとても楽で楽しい。人に見せるものではないので、思いついたままに書けるのも楽しい。現代社会では日本語を縦書きで書くことはあまりないのでなかなか綺麗に書けないのだが、そのあたりも毎日書いていたら徐々に上手になるかもと期待している。
今年の挨拶回り、やっと本日終了。ホッ。
年末にいろいろなかたにお会いすると、「ブログ見てますよ」報告をちらほらいただく。みんな知ってるんだよな。私の通う英会話スクールが閉校になることも、将棋を始めたことも。今年も読んでくださりありがとうございました。
私がテニスやら将棋やら一コマ絵日記やらで忙しくしているのをご存じの方々のために、もう一つの私の所属コミュニティ「映画を語る会」の忘年会に出たことをお伝えしておく。これで今年のすべての忘年会を消化することができた。文字通り頑張って消化した。
「映画を語る会」は課題作の映画を観て集って、感想などを語り合うサークルだが、だいたいみんな年間50本ぐらいは映画を観てる。さらには年間100本ぐらい観た人もいる。そういう人たちが今年観た映画の「洋画ベスト10」「邦画ベスト10」などを語り合うのがこのサークルの忘年会である。今年はイオンシネマに勤めている人も参戦して、更に強豪ぞろいだった。
私はなんと今年は8本しか観なかった。と言うと、「逆に選りすぐりの本が気になりますね!」などと仰る人もいるが、そんなに選りすぐったわけでもない。
今年観た映画を挙げておくと
振り返るとどれも良い作品だった。来年はもっと観られるといいな~。
先日、とある日曜日、ついに公民館で将棋デビューを飾った。
以前よりずっとどこかの将棋教室などに行きたいと思っていた。将棋アプリを入れて対局してみたりしていたが難易度の設定が難しく、ついつい自分が勝てる初心者向けの設定にしてしまう。やはり勝負事は人とでないと。ネットで探すと、子ども向けの将棋教室ばかり出てくるし、かといってベテランが多いところも怖い。
しかし、今年になって町内の役をやることになり「公民館の利用促進の案内をしてくれ」ということで曜日毎の公民館利用スケジュールが配られた。そこでは「卓球」「お茶」「囲碁将棋」「ウェルネス吹き矢」などのサークルが開催されている。「ウェルネス吹き矢?めちゃくちゃ気になる~」と思ったが残念ながら平日の昼間開催である。「囲碁将棋」は日曜の午前なので、これはいける!と思った。
それで羽生名人の将棋入門書を買ったりして最低限の知識だけ身に着けて、先日初めて公民館を覗いた。
そこでは長年の友という感じの老人4人が将棋を指していた。私は初心者ということで(しかしハンディはつけてもらえなかった)、やさしく教えていただきながらもボコボコにされたのであった。
「将棋のアプリの広告を押すとな、50万円はらえと言われたんだ。わしゃ、恐ろしくなってNTTにアプリを消してもらいに行ったんだ」などと語る老人たちとの楽しい交流。老後に向けてまた新たな趣味が増えて嬉しい。今は、毎朝5分ずつぐらい将棋のYouTubeを眺めてから出勤している。
数ヶ月通っただけの英会話スクールだが、その歴史をあっという間に閉じることになった。スクールが閉校することに決まったからだ。別の系列校に通うのは少し遠いのでこのままいったんは対面での英会話学習を終えることになるだろう。
仕事が立て込んでしまうと休みがちになる私に、事務の女性と講師の先生はなんどかカウンセリングをして励ましてくれていたのでだが急な閉校のご案内である。事務のかたからも「こんなことになって本当に申し訳ない」とあやまられることになった。そりゃあ、最近ではオンラインのスクールもあれば、AIによる会話型アプリもある。英語学習の選択肢は無限に広がった。対面でのスクール形式が下火になるのもやむを得ない。
で、次は自分で終えた話である。
少し前に習慣化アプリ「みんチャレ」を強く推していたのだが、卒業することにした。みんチャレのお陰で習慣化が可能になったこともいくつかあるので感謝はしているのだが、そういう意味では習慣化できた時点でアプリの役目は終わったとも言える。アプリそのものは良い着想だと思うし、アプリの利用者の中にはいったんは卒業したけどまた舞い戻ってきたという人も多いので、アプリが悪かったわけではない。習慣化が苦手な人は一度試してみたらよいと思う。ただ、長く続くチームの人たちとの濃厚なやり取りが「毎日の写真アップの報告」と相まって負担にもなってしまった。
最後に始めるものの報告。
いよいよ今月から近所の公民館で地元老人たち(推定3人ぐらい)と将棋を指すことになった。一ヶ月に一度だけなのでゆるゆると楽しみたいと思う。
気軽に試してみる、合わないのなら無理しない、みたいなことを、今はどんどんやりたい時期なんだよねえ。
先日、書店に立ち寄った時に『自分の本』を見つけて、「そうそう、これこれ」と思って2025年のものを購入した。
文庫本サイズで、中は日付だけ入っている真っ白なページが続いている。
存在は知っていたのだが、買おうとは思っていなかったのだが、先日、知り合いの男性が隙間時間を見つけて今年版の『自分の本』にびっしりと日記を書いているところに出くわした。私よりかなり年齢が上のかたなのだが、細かい字で書き綴っていた。もう何年も続いている習慣ということだ。日付の下に簡単に見出しをつけているとのことで、そこを見るたけでもその日に何があったかがけっこう思い出せるとのこと。
もちろん、日記でなくても、イラストや創作でも、何を書くのも自由だ。影響され易い私は、だからさっそく買った。
実は以前より、ネット上に公開したくない胸のうちを書くこともやってもいいのではないかと思っていた。つらいことも悲しいことも。人には内緒にしたい嬉しいことも。いつからか、アウトプットはSNSに公開する、みたいなことばかりやるようになってしまってからね。人から読まれない媒体に、何が書けるだろう。それとも人から読んでもらえなかったらモチベーションが続かないだろうか。
私の夫は学生の頃の山岳部から始まって、登山、フリークライミング歴が何十年にもなるのだが、スポーツクライミングの知名度が上がるまでは周囲から趣味はなんですかと訊かれて「クライミングです」と答えるのを嫌がっていた。それはクライミングというスポーツの説明が嫌だったようであるが、最近では「なんでクライミングを始めたのですか?」的な質問をされて嫌だったというような話をしていて、「そんなものは適当に答えていればいいのではないか」と一瞬言ってしまったのだが、確かに「なぜ始めたのか」を訊かれるのは私でも面倒かもしれない。
なぜならば、「なぜ始めたか」は本当にたびたび訊かれる質問であり、そんなものは場合によっては適当に答えたらいいのだが多くの人はきちんと答えようとする。相手に「なるほど!」と言ってもらえるような答えを頑張って提供する。そうなるとその一連のストーリーは何かあるたびに繰り返さなければならなくなり、そのストーリーはだんだんと変化せざるを得ない。続いている中で始めたきっかけと異なる動機付けがなされていき、当初の目的は置き去りにされることだってままある。
私は英会話を習っているのだが、習い始めた当初は「なぜ英会話を習うことにしたのか」と訊かれて「会社にアジア系他国籍の人が増えて来て、彼らは日本語より英語のほうが話しやすい人もいるから英語もできたほうがよりしっかりサポートできると考えた」と答えたのだが、実はこれは本当の理由ではない。以前、オーストラリア在住の日本人とオンライン英会話をしている中で「その方が説得力がある」という理由で作り上げられたストーリーなのだ(と後で思った)。現実にはどうかといえば、母語が中国語やマレー語やベトナム語である彼らが日本滞在が長くなってくると彼らの話によれば第二外国語である英語のことは使わないので少しずつ忘れていっているそうだ。なので、私は彼らと英語で話すことはない。彼らはみんな日本語検定のN1(一番難しいレベル)を持っていて日本語の会話に不自由がない。
それはそれとして、昨日も英会話でこんな話になった。英会話ではよく「いつ、~したのですか?」「なぜ、~したのですか?」などの疑問形に答えるやり取りを繰り返す。そしてさらにそこから会話を広げる練習をする。そこでうまく言葉が出てこない人には「詳細に正確に答えようとする」生真面目な人が多い。だけど、訊いているほうはそんなに深い意図はなく質問しているので、そこを詳細にしゃべろうと会話がストップしてしまうと学習が進まなくなってしまうのだ。
だからしょっちゅう訊かれる「なぜ〇〇を始めたのですか?」には割り切って簡単な答えを用意するのだ良いのだと思う。「厳密に言えば本当はこういう理由もあったのだけど」みたいなことを上手に脇によけるというのはコミュニケーション上手になるためにはとても大事なスキルだと思う。生真面目さ、というかサービス精神というか、何かいい感じのストーリーを添えられると素敵かもという見栄というか。そういう気持ちが往々にして余計な働きをしてしまう。
「どうして〇〇を始めたの?」って相手を知るお手軽な質問だからさ、こちらはその時思いついた答えを気軽にシンプルに答えられるようになるといいねえ、と自分に言いたい。