私はたいがい、やることが唐突なので、みんなにびっくりされることが多い。
それでよくあるのが、「理由」を求められることだ。
「なんで大学院に行くことにしたの?」
これまで何度も訊かれた。
もちろん、そのたびに答えてはいるのだが、よく考えると、わりと都度、答えが変わっている。
たとえば、
「会社が50周年を迎えるにあたってブランディングをした。それがとても手ごたえがあったので、研究してみたいと思った」
とか。
「親の介護も終わり、会社の周年も終わってひと段落した。女性の人生、自分のために使える時間は案外少ないから今しかないと思った」
とか。
変な理由だが、
「呑み会の誘いを断れるからちょうどいい」
みたいなことを答えたこともある。
最近は、こんなのも加わった。
「士業の人って、ものすごく勉強してなるじゃないですか。なのに経営者って無資格でなれるんですよ。それってちょっとおかしいなと思って。やっぱり経営するからには、経営の勉強をしたいなと思って」
これは、同じ研究室に税理士試験を受ける人が多く、その猛勉強ぶりに圧倒されて、あとから加わった理由だ。
どれも嘘ではない。
全部、本当の理由だ。
でも、どれも決定的な理由ではないような気もする。
一つ確かなのは、「しっかり勉強したい」という気持ちがあったこと。そして、しっかり勉強するには、やっぱり「師」が必要なのだと思ったことだ。
最近よく思うのだが、人生というのは奇妙なもので、いろいろなことが連鎖していく。そして私は、その連鎖が目の前に現れると、わりとすんなり乗っかってしまうタイプなのだ。
そもそも、私が会社経営に携わったことからして、計画したことではなかった。
本来会社を継ぐはずだった夫が父と喧嘩して飛び出してしまい、父に乞われて、私はしぶしぶ会社を継ぐことになった。
経営を始めると、当然、悩む。
それで経営者仲間をつくろうと経済団体に入った。
経済団体というのは不思議なもので、一つ入ると、二つ、三つと、なぜか入らないといけなくなる。
そうして所属していた経済団体で、大学院の先生に出会った。そのときは、自分が大学院に行くことになるなんて、まったく思っていなかった。
その後、別の経済団体できっかけをもらって、テニスを始めた。
それから数年が経ち、会社の50周年も落ち着いた。
「今なら時間がつくれるかもしれない」
そう思った。
大学院というのは、指導していただきたい先生を見つけその先生にお願いをして、受け入れていただければ行ける場所でもある。
そこで、以前知り合った大学院の先生に志願し、大学院に入った。
入学したころは、いろいろあって、パラスポーツのことを研究しようと思っていた。
それで、あちこちのパラスポーツ団体に行ったり、練習を見学したりしようとしていた。
そうしたら、私が通っていたテニススクールのコーチが、車いすテニスの選手を指導していた。
そして私は、パラアスリートを雇用することになった(このあたりは展開がちょっと早い)。
ざっくり書くと、こんな感じだ。
ちなみに、今の研究テーマはAIエージェントを使った実験なので、パラアスリートとは全然関係ない。
こうやって振り返ってみると、不思議に思う。
人間って、そんなに明確な「理由」を持って生きているのだろうか。
昨日も企業戦略論の授業で、企業は中長期計画をつくり、企業価値を高めていくものだと、あらためて教わった。
もちろん、企業に計画が必要なのはわかる。それでも、こんなに不確定要素の多い時代に、中期計画はまだしも、長期計画なんて本当に立てられるのだろうか、とも思う。
少なくとも、私自身の人生を振り返ってみると、長期計画どおりにここまで来たわけではない。
経営者になることも。
大学院に行くことも。
テニスを始めることも。
パラアスリートを雇用することも。
AIエージェントを研究することも。
ずっと前から決めていたことは、一つもない。
あとから振り返れば、そこにはいくらでも「理由」をつけることができる。
でも実際には、
人に出会って、何かが起きて、ちょっと面白そうだと思って、目の前に次の道が現れて、そこを歩いてみた。
その繰り返しだったような気がする。
だから最近、「理由」を訊かれると少し困る。理由がないわけではない。むしろ、理由はいくらでもある。
ただ、そのどれか一つが私をここまで連れてきたわけではない。出会った縁をいちいち手繰り寄せていたら、いつの間にかここまで来ていた。そういう人生も、案外悪くないと思っている。
そしてたぶん、これから先も私は、「10年後はここにいる」と決めて、その場所へ一直線に歩いていくことはできない。
そのかわり、目の前に現れた縁や偶然を、「これは何につながるんだろう」とついうっかり、また手繰り寄せてしまうのだと思う。
そう考えると、私のような人生を送るコツは立派な理由や完璧な長期計画ではなくて、目の前に現れた面白そうなものに躊躇なく手を出す力なのだ。









