先日、人と話をしている中でメンタルのコーチングを受けてみようと思い立った。詳しくは書かないけれど、どんなに気を付けていても私の置かれている立場上、避けがたく傷つく出来事がある。理不尽なケースも少なくなく、ときには数日引きずってしまうこともある。
経営者として判断力を落とさないためにも、「傷つきにくくなる」あるいは「傷ついても早く回復できる」方法を知りたい。それが今回コーチングを受けようと思った理由だった。
さて、誰にコーチングをお願いしようとなった際に、数年前からXでフォローしている人がコーチングの体験を描いていたのを思い出した。さっそくメールフォームにメールを送り、その日のうちにはお返事をいただき、じゃあ二日後に、ということで話はトントンと進んだ。まずはお試しで30分ほどリモートで話すことになった。
結論から言えば、私には少し違うと感じた。ただ、その場では何が違うのか自分でも言葉にできなかった。
申し訳ないと思いつつ、お断りメールをしたあとでコーチのかたから「もしかしたらあなたが求めているのはレジリエンスという概念のものではないのですか。感情の回復力をテーマにされる場合、コーチングというよりレジリエンスをテーマとしたカウンセリングが適切かと思います」という非常に丁寧なメールをいただいた。
しかし、やっぱり「私の求めているのはレジリエンス…?」という疑問が浮かんできてしまう。
ここからは推測なのだが、私が受けた印象では、そのコーチングは、日常の中で繰り返される傷つきや、生きづらさを対話を通して少しずつ見つめ直していくアプローチなのではないかと感じた。
一方の私は、日々は元気に過ごせているのだが、たまに超ド級の災難が降ってくる。だから普段の思考や行動の癖を見つめ直したいというより、その非常時にどう受け止めればいいのかを知りたかったのかもしれない。
そんなことを数日考えていたとき、ちょうど最終回を迎えたドラマ『銀河の一票』を見た。政治秘書として生きてきた星野茉莉(黒木華)が秘書を切られて追い出され、そこで出会った月岡あかり(野呂佳代)に出会ったことで、月岡こそ都知事になるべき人と感じ、そこから都知事候補擁立大作戦が展開されるのだ(そして最後は私は胸がいっぱいになり泣きながら見た)。
その中で、さだまさしの「いのちの理由」を登場人物が口ずさむシーンがときどき流れる。それも1番ではなくて、2番の歌詞。「私が生まれてきた訳は何処かの誰かを傷つけて 私が生まれてきた訳は何処かの誰かに傷ついて」という部分だ。そのあとに、「何処かの誰かに救われて」「何処かの誰かを救うため」と続く。
私はその口ずさまれた歌を聴いたとき、なんとなく、「私は正しく傷つくことが必要なんだな」ということが分かった。傷つくのは怖いし逃げたいし、傷にとらわれ続けてしまう弱さを呪うこともあるけど、正しく傷つかないと他人の傷に気づいてあげられないんだろうなあと思ったのだ。
もちろん、テクニックとしてできるだけダメージに負けてしまわない心の持ち方も大事だろう。でも、「傷つかない」一択を選んで生きていくのも、それはそれで違う気がする。私自身も、未熟さゆえに誰かを傷つけてきたことはきっと少なくない。そのことを忘れずにいたいと思う。
そういうことを考えているうちにコーチングを受けたいという気持ちは今のところ霧散してしまった。またいつか、何かに頼りたくなったらその時考えよう。







