最近勉強していてグッときた話2選

大学院に通い始めてから、これまでとは違う分野の本を読む機会が増えた。学術書は正直、読むのが大変だ。それでも、まれに「おっ」と思わず膝を打つような記述に出会うと、「勉強していてよかったなあ」と感じる。

最近、特にグッときた話を二つ紹介したい。

一つ目は、入山章栄先生の『世界標準の経営理論』を読んでいたときのことだ。この本では、「ポジショニング派のチャンピオン」とも呼ばれるマイケル・ポーターが詳しく紹介されている。

ポーターは若くして数多くの経営戦略のフレームワークを提唱し、MBAの世界では知らない人はいないほどの存在である。しかし、実務家である私には、それらのフレームワークが「なぜそこまで評価されるのか」を今ひとつ実感できずにいた。

ところが、本の中で入山先生がこんなことを書いておられた。

余談だが、ポーターの競争戦略がこれほどまでに広まった理由の一つは、彼の「フレームワークを図化する能力」によるところも大きい、と筆者は考えている。文章は忘れても、図のイメージは人の記憶に留まりやすいものだ。

「そうか、図化か。」

思わずハッとした。

経営学を学んでいると、ポーターの名前を見ない日はない。しかし、「どこがそんなにすごいのだろう?」という私の疑問に対して、「図化する力」という視点は、とても納得感のある答えだった。

二つ目は、『マンガ経営戦略全史』の中で見かけた、社会学者ダンカン・ワッツの「歴史から『答え』は学べない」という考え方である。

私たちは「歴史から学べ」と言われて大きくなったし、歴史好きの人も多い。しかしワッツは、人間は後になって出来事の意味づけや評価を何度も書き換えているだけだ、と指摘する。

だから大切なのは、「過去ではなく現在から学ぶこと」、そして「予測や推測ばかりするのではなく、実際にやってみること」なのだという。

この考え方は、AI時代だからこそ、より重みを持つように感じる。

AIは膨大な過去のデータから予測することは得意だ。しかし、「まずやってみる」という実践そのものは、人間にしかできない。

勉強することの良さって、こういう考えに出会えることだなあと思ったのであった。

花を摘む・雉を撃つ

先日、いつもの美容院で、男性オーナーと二人きりの個室サロンで髪を切ってもらっていたときのこと。

「そういえば、この前、友近さん(芸人)の出る火曜サスペンスを見ていたら、友近さんがトイレに行くことを『花を摘みに行ってくる』って言ってたんですよ。僕、それまで知らなくて調べたんです。山本さん、使ったことあります?」

と聞かれたので、

「表現として存在するのは知ってるけど、自分で言ったことはないよ」

と答えた。

ところが、年配の女性客が多いそのオーナーは、「花を摘む」という隠語がすっかり気に入ってしまったらしく、それなり以上の年齢のお客さんに会うたびに「知ってます?」と聞いて回っているらしい。

「いや、私は実際に使ったこともないし、誰かが使っているのを聞いたこともないよ」

と、もう一度言う。

私の中では、「着物を着た楚々とした女性がお見合いの席で、恥じらいながら『ちょっと花を摘んでまいります』と言う」くらいのイメージで、現実に耳にしたことは一度もない。「I love you.」の代わりに「月が綺麗ですね」と表現する人に人生で一度も出会ったことがない、というぐらいに、ない。

その話を家で夫にしたところ、

「もちろん知ってるよ。登山が発祥の言い回しだもん!」

と、普段、日本語の言い回しが下手くそな夫にしては得意げな返事が返ってきた。しかも、男性版まであるという。男性が山で用を足しに行くときは、「雉を撃ってくる」と言うらしい。 実際、「ちょっと雉撃ってくる」と、ごく自然に使うのだそうだ。

私は、美容院のオーナーが「年配の女性が使う上品な言葉なんでしょ?」というイメージでニヤニヤしながら話していたのに、実は山男が使ってるなんてことになったから面白いなあと思ったのであった。

点字名刺を作った

点字名刺を作った。福祉法人が行っているサービスを利用し、普段使っている名刺を送ると点字を追加した名刺にして返送してもらえる。

実際に作成した点字名刺

きっかけは、パラスポーツの現場へ足を運ぶ機会が少しずつ増えたことだった。そこでは視覚障がいのある方とお会いすることもある。

そのたびに思う。

「私は、多様な人たちの視点をまだまだ持てていないなあ」

できるだけ多くの現場へ行こう、と日頃から心がけている。でも、自分が見ている世界は思っている以上に狭い。そして、そういう私から「見えてない」場所が必要としているサービスは実はとても多いのではないかと思った。

作ってみて分かったのだが、点字名刺に載せられる情報は意外と少ない。

私の名刺に入れた点字は、

「ふぃねっと しゃちょー」

「やまもと ゆかり」

それだけ。

実際に手元に来た名刺を触ってみる。ぽこぽこした凹凸をなでて触ってみる。もともとの名刺はあたたかみのある少しざらっとした紙質で、そこに載った凹凸がちょうどよい気がする。この名刺を挟んでなにか対話が始まるのが楽しみだなと、思った。

ちゃんと生きよう

ついさっき起こったことを書く。

今日のお昼は会合でアイビースクエアというホテルに行っていて、終わったから帰ろう、という段になってホテルの中庭が見える通路に花嫁さんがいた。「お嫁さんがいるね。きれいだね」と一緒にいた子と話しながら邪魔にならないようと通り過ぎようとしたとき、ふと、新郎のほうの顔に見覚えが。で、立ち止まって顔を見合わせたら、相手の男性も気がついた。なんと、大学院で同じ経営論などの授業をいくつか一緒に受けている同期の男性だった(もちろん、私よりずうっと若い)。彼「結婚式の前撮りなんです」私「わあ!おめでとうございます!」と短く会話して、その場を離れた。私の住む倉敷は、観光地でもあるので、ときおり前撮りのカップルを見かけることはあるけれども、知り合いに会ったのは初めてで、それでものすごく嬉しかった。

お、おまえは~!日中は働いて、夜は授業であんなクオリティの高い課題出してきて、結婚式まで控えていたのか~。

と、いろんな意味で感動した。

その後、ホテルから駅まで歩くという一緒の会合に出た女性を、「車で送ってあげるよ」と言って載せたのだけど、彼女はIT系企業の社長さんで、今年の春に父親がやっていた会社を事業継承したばかりだったので絶賛お悩み中だった。私もその立場はめちゃくちゃ分かるので、送る道中の彼女の悩みも「分かる、分かる」という感じだったし、なにかうまく励ませればいいけど、簡単には励ませないし。と思いつつ。駅について、彼女が車の降り際に「ごめんなさい。いつも由佳里さんに愚痴ばっかり言っちゃって」と言いながらポロッと涙を流したのを見て、ちょっと昔の自分を思い出して胸が詰まった。

それで、そのあとも車を運転しながら、なにか胸がいっぱいだった。

嬉しいシーンも、つらいシーンも、そういう人生の場面に立ち会ったときって、なんだか「ちゃんと生きよう」と決意するなあ、ということを思った。もちろん、良い場面も素晴らしいけど、苦しい場面も、胸が詰まるような、揺さぶられるような、ずっと不安定なような。そんなことの当事者になるのってすごいことなのだという感じがした。

今日は、実に、立て続けだった。

ちゃんと生きよう。

コーチングを受けようとして、受けなかった話

先日、人と話をしている中でメンタルのコーチングを受けてみようと思い立った。詳しくは書かないけれど、どんなに気を付けていても私の置かれている立場上、避けがたく傷つく出来事がある。理不尽なケースも少なくなく、ときには数日引きずってしまうこともある。

経営者として判断力を落とさないためにも、「傷つきにくくなる」あるいは「傷ついても早く回復できる」方法を知りたい。それが今回コーチングを受けようと思った理由だった。

さて、誰にコーチングをお願いしようとなった際に、数年前からXでフォローしている人がコーチングの体験を描いていたのを思い出した。さっそくメールフォームにメールを送り、その日のうちにはお返事をいただき、じゃあ二日後に、ということで話はトントンと進んだ。まずはお試しで30分ほどリモートで話すことになった。

結論から言えば、私には少し違うと感じた。ただ、その場では何が違うのか自分でも言葉にできなかった。

申し訳ないと思いつつ、お断りメールをしたあとでコーチのかたから「もしかしたらあなたが求めているのはレジリエンスという概念のものではないのですか。感情の回復力をテーマにされる場合、コーチングというよりレジリエンスをテーマとしたカウンセリングが適切かと思います」という非常に丁寧なメールをいただいた。

しかし、やっぱり「私の求めているのはレジリエンス…?」という疑問が浮かんできてしまう。

ここからは推測なのだが、私が受けた印象では、そのコーチングは、日常の中で繰り返される傷つきや、生きづらさを対話を通して少しずつ見つめ直していくアプローチなのではないかと感じた。

一方の私は、日々は元気に過ごせているのだが、たまに超ド級の災難が降ってくる。だから普段の思考や行動の癖を見つめ直したいというより、その非常時にどう受け止めればいいのかを知りたかったのかもしれない。

そんなことを数日考えていたとき、ちょうど最終回を迎えたドラマ『銀河の一票』を見た。政治秘書として生きてきた星野茉莉(黒木華)が秘書を切られて追い出され、そこで出会った月岡あかり(野呂佳代)に出会ったことで、月岡こそ都知事になるべき人と感じ、そこから都知事候補擁立大作戦が展開されるのだ(そして最後は私は胸がいっぱいになり泣きながら見た)。

その中で、さだまさしの「いのちの理由」を登場人物が口ずさむシーンがときどき流れる。それも1番ではなくて、2番の歌詞。「私が生まれてきた訳は何処かの誰かを傷つけて 私が生まれてきた訳は何処かの誰かに傷ついて」という部分だ。そのあとに、「何処かの誰かに救われて」「何処かの誰かを救うため」と続く。

私はその口ずさまれた歌を聴いたとき、なんとなく、「私は正しく傷つくことが必要なんだな」ということが分かった。傷つくのは怖いし逃げたいし、傷にとらわれ続けてしまう弱さを呪うこともあるけど、正しく傷つかないと他人の傷に気づいてあげられないんだろうなあと思ったのだ。

もちろん、テクニックとしてできるだけダメージに負けてしまわない心の持ち方も大事だろう。でも、「傷つかない」一択を選んで生きていくのも、それはそれで違う気がする。私自身も、未熟さゆえに誰かを傷つけてきたことはきっと少なくない。そのことを忘れずにいたいと思う。

そういうことを考えているうちにコーチングを受けたいという気持ちは今のところ霧散してしまった。またいつか、何かに頼りたくなったらその時考えよう。

「あなたのコア・コンピタンスは?」という質問

先日、大学の授業で「あなたのコア・コンピタンス(強み)を活かしてこれからのAI時代に数十年後にも生き残るであろう、自分にふさわしい職業についてプレゼン動画作ってください」という課題が出た。まずは私のコア・コンピタンス探しからだ。

社内や知人に「私の "強み" ってなにかなあ?」と聞いて回った。

一人は「バイタリティだと思います」と答えてくれ、別の人は「プログラミングやイラストなどの表現手法をたくさん持っているところ」と答えてくれ、別の人は「よくも悪くも(笑)、人が寄ってくるところ」と答え、更に別の人は「決断力」と答えてくれた。

大変興味深くそれらを聞かせてもらったのだが、面白いなと思ったのはみなさん「自身が抱えている課題の解決能力や、自身が手に入れたいと憧れている能力」について語っているということだ。

体力がない人は「バイタリティ」を挙げ、絵を描けるといいなあと思っている人は「表現力」を挙げ、決断を先送りしがちな人は「決断力」を挙げ、人脈が欲しいと思っている人は私の「人が寄ってくるところ」を挙げてくれた。つまり、ちょっとした心理テストみたいになっちゃったね、と思った。

そんな中で、さすがうちの営業くん。「よその社長より現場をよく知っている」と言ってくれたよ。一人だけ視座が違ってると思った。

いろいろな人から私について聞かせてもらい、とても面白かった。

最終的に自分の強みとして考えついたのは、「表現欲求の強さ」ではないかと思う。

文章を書くことも、絵を描くことも、スピーチを学ぶことも、そして経営やスポーツでさえ、私にとっては自分を通して何かを表現する行為なのだろう。

振り返ってみると、プログラミングも経営も、その手段が違うだけで根っこは同じだったのかもしれない。

みなさんも一度、「自分のコア・コンピタンスは何だろう?」と考えてみてはいかがでしょう?