最近、またシステム開発をしている

最近、システム開発をまたやっている。ここ数年は他のこと(会社の組織づくり、ブランディング、採用、営業、社交、ノベルティ作成、数えればいくらでもある)をずっとやっていて、合間に10年以上前に作ったシステムの保守をやっている程度だった。

一般的に会社規模が大きくなるほど次第に社長はシステム開発の現場には顔を出さなくなるし、出しても迷惑がられることになる。結果、技術の現場からは遠ざかりがちだ。社長になって間がないころに異業種の社長から「もう、ゆかりんさんは技術のことはしていてはだめだろう。経営をしないと」と言われたこともあり、私もそこのところは悩み悩みやっていたのだが、その10数年に渡るシステムで久しぶりにまとまった依頼をうけたので、私がプレイングマネージャー的に頑張ることにした。

正直、開発現場から離れれば離れるほど、現場に戻るのが怖くなる。体力も落ちているし、新しい技術にも追いつけないかもしれない。他の業務に圧迫されてほとんど時間が取れないかもしれない。が、幸いにも、そのシステムを依頼してくれている会社の代表の人はずいぶん長く懇意にしているかたなので多少の融通も効く。

[今回やること]

  • フレームワークのバージョンアップ(Rails3⇒Rails7)
  • 新機能追加にともない画面と帳票の追加

[良い点]

  • 楽しい … 社長稼業は同じ目線で語れる人が社内にいないが、開発事案ならチームで同じ目線でしゃべれる
  • 補助の存在 … ChatGPTなしでは生きていけない
  • 勇気 … 他のブルシットジョブについて思い切って断る勇気が出た
  • 教育 … 新人にエンドクライアントのヒアリングから始まるスクラッチ開発を経験してもらえる

[苦しい点]

  • チームメンバーが新人なので助走期間をしっかり作る必要がある

私が今まで手掛けたエンドクライアントさん直の案件は二社で、おかげさまでいずれも10年以上稼働している。 今回は久しぶりの開発となって忙しくもあるが、チームとは楽しく仕事ができているし、チームの成長を日々目にすることができるのがとても良い。

思うに、「社長は現場に出るべきではない」「社長は全体を俯瞰してみる立場にいるべき」「こうすべき」「ああすべき」という幾多の概念に縛られがちであるが、社長こそが足らないポジションをどう強化するかは自分で決められる存在でもあるし、社の全体に目配りする存在としてバックオフィス系の人材強化をこのところずっとやっているので、私がそちらに業務を引き渡して手を空けられるようになったのは大きい。

自分に限界を作るのは簡単だけど、こんな感じでもうちょっと頑張ってみようかなと思っている。

熊はいなくなるべくしていなくなる

書店で「東京創元社創立70周年記念小冊子」(無料)を入手した。創元社文庫にはこれまで大層お世話になった。書店員さんは若い研修生で、私はその冊子は無料だと分かっていたのだけれど敢えて書店員さんに「これは無料でしょうか」と確認をし、書店員さんはいろいろ調べて、「バーコードがないから(無料)」と言いかけて、先輩に確認しに行き、それから私に手渡してくれた。

冊子には何人かの創元社に関わりのある人たちの「東京創元社、私の一冊」というテーマの寄稿が寄せられていて、私は、「そうだ、この冊子に載せられている本を全部読んでみよう」と思った。一回ぐらい、「〇〇で選んだ本100選」みたいなのを端から読むということをやってみたかったのだが、挫折が目に見えているので自信がなかったのだ。でもこの冊子の本の分量ぐらいならイケそうだ。

こういう「私の一冊」の選書が素晴らしいのは、それぞれその本が紹介者の心に長く留まっていたであろう本だからだ。「世界中で長く愛読されてきた本」でもなく、「今の時代に急に拡散されて多くの読者を得た本」でもない。良い本とは、その人の個人的な心の場所に置かれて愛でられてきた本なんだと思う。

一冊ぐらい私が読んだことがある本があると思ったのだが、やっと一冊(『マルタの鷹』)、それも内容をすっかり忘れていた。

最初はどれを読もう。どの本も面白そうだったが、できればリアル書店で「書籍検索できる機械」を使わずに見つけたいなと思ってところに見つけたのが『こうしてイギリスから熊がいなくなりました』だった。記念すべき一冊目。

事実、イギリスでは熊が乱獲されて絶滅したとあとがきに書いてあったのだが、8編の短編が寓話のような仕立てで、それらは熊が自分の意志でもってしていなくなる「お話」ばかりで、挿絵もまた、とても素晴らしい。

どちらかというと熊は日本では人間を襲う恐ろしい動物という側面で語られがちで、「熊のかしこさ」はあまりクローズアップされていないだろう。

私はずいぶんと昔にインドに行ったことがあるのだが、インドのそのツアーはとても雑で、手違いで現地の人しか泊まらないようなホテルにしか泊まれず、朝の散歩でもしようと外に出たら現地ガイドが慌てて(多分、危険なので)追いかけてきたこともあった。そこで、記憶違いかもしれないが、屋外のなんの囲いもない道端で曲芸の練習をするために帽子をかぶって二本足で立つ熊を見たことがある。

どちらかというと、人間を食い殺す熊ではなく、二本足で立つ熊たちがこの本の主人公だ。

そして、これはかなりホラーな本だった。8本の短編の1本目からけっこう怖かった。

こうして素敵な一冊目を読み終えた。二冊目はどれにしようか。でもそれは自分が決められないだろう。だって書店で出会わないといけないから。正直、ネットで拡散されて話題になった情報をもとに、ネットで素早く買った本は意外とつまらないという経験が続いているので、今回ばかりは書店での出会いにこだわりたいと思っているのだ。

野菜を干す

最近は休日はたいがい野菜を干している。きっかけは『家事か地獄か』という本の作者さんが糠漬けや干し野菜を楽しんでいて私もやりたくなったからだ。

しかし、本格的な何段にもなっている干し網などを買っても私のことだからすぐ飽きてしまうかもしれない。ここは慎重に、無印良品の竹ざるを2枚買ってきてスモールスタートすることにした。

お隣からもらったゴーヤ、見切り品のピーマン、など、野菜があればいそいそと刻んで竹ざるに載せ、天日干しする。干し野菜のサイトなどを見ると等間隔にきれいに並べていたりするが、そんなに丁寧なことはしなくても良い。ガサッと竹ざるに載せるだけだ。

この暑さである。だいたいうちのベランダに陽が当たっている朝の8時から15時ぐらいの間だけ干す。夜まで出しっぱなしにすると湿ってカビが生えたりするらしいので取り込むのを忘れないようにしないといけない。

野菜を刻むのは全然好きじゃないが、干し野菜が作れると思うと割といそいそと野菜を刻むことができる。イヤホンでオーディブルの小説を聴きながらひたすら野菜を刻むのは、かなり楽しい。家事が楽しいだなんて、滅多と味わえる感情じゃないよなあと思ったりして、ちょっとほくそ笑む。

暑い暑い、と嘆くこともある私だが、この無料の、太陽光というものすごいエネルギーを活用できると思うと、暑いことがなんだか嬉しくもある。

最近よくやってるChatGPTの使い方

以前にも書いたが、ChatGPTを使うようになって一番最初に良い使い方だと思ったのは「正規表現を読む・書く」だった。もう、面倒な正規表現のルールを頭に入れなくていいし、他の人が書いたどう解読していいか分からない正規表現に取り組まなくてもいいんだ、と思った。

次に気に入って使っていたのが、電子工作の課題を出してもらったり、どう回路を繋げばいいかを教えてもらうことだった。電子工作関係の本に載っているサンプルは微妙に自分の置かれている環境と違う環境で実行していたものが載っているので、いっそ、自分の使っているOSと持っている電子部品を列挙して、これで何か適当な課題を出してくれと頼むといろいろ提案してくれるのがとても良かった。

最近は英会話を習っている関係で、英語の文法書などを読むこともあるのだが、特に今読んでいていいと思う文法解説書は大西泰斗さんの本だ。大西泰斗さんと言えばNHKラジオ英会話の講師などもしていて「ハートで理解する」というのを大事にしている。そういうこともあり、通り一遍の英訳ではなく、もっとネイティブの人が聞いてしっくりくる英語表現なども知りたくなっている。たとえば簡単な例だと「I like to stay helthy.」 と 「I will stay helthy.」のどちらの表現が良いかと訊いたら、シーン毎にこういう使い方が良いですよ、と違いを説明してくれる。ふむふむ。大西さんの本に書かれているのと同じニュアンスの違いを教えてくれるなあ、などと理解が深まる。英会話学習に最適じゃん、と嬉しくなる。←New

要は今の私にとってのAIは自分がやりたい学習をブーストするときに使うものだ。

逆に何かクリエイティブなことに使うというのはあまりしっくりこない。凡庸で平坦な、躍動感に欠けるアウトプットが出てくるイメージ。

私は学習することがライフワークみたいなところがあるので、AIの使い方はどうしてもそこにスポットが当たる。そういう、個々人のやりたいことのイメージがしっかりないと、逆にAIは使いどころが分からないものになっていたりするんじゃなかろうか。

7月の読書振り返り

朝も昼も夜も暑いため、なんだか一日一日に区切りがない気がして、月の替わり目も知らないうちに迎えてしまった気がするが8月になった。

7月の読書は9冊。なんとなく月に10冊が良いペースだなと思っているので、今月もそのあたりに落ち着いた。

この中で一冊良かったものを挙げるとすれば稲垣えみ子さんの『家事か地獄か 最後まですっくと生き抜く唯一の選択』だろうか。稲垣えみ子さんはアフロヘアで有名な元新聞記者のかたであるが、50代で会社を辞めるにあたり、住まいも家賃を下げるために古い4畳半のアパートに移り、そのためほとんど物が置けないので家電を全部手放したとのこと。その体験談を書いた本だ。

断捨離とかミニマリストという言葉でくくってしまうとただの片づけ本になってしまうのだが、実際にはちょっと違う。物をぐんと減らすことでどんな風に快適になり、どんな風に将来への不安が消えていったのか、ということにスポットが当たっている内容だ。

特に「なるほど」と思ったのは「人生の可能性を広げない」という章である。稲垣さんは「これまで可能性を追求することに気を取られていた。可能性を追求するということは、いまここにある幸せに目を向けていないことだ」というのである。

「何か買うと人生が豊かになったり便利になったりするのではないか」と思って、人は物を買うことがある。が、実際には、買っては、また、次の豊かや便利の可能性を探し始め、一向にゴールが見えない。これが人の不幸の原因の一つだとはっとする。

「便利をやめる」という章も良かった。洗濯機は人がすべき洗濯を楽にするものだという思い込みがあるが、その考えが、洗濯を「まとめてやろう」という気持ちにつながり、結果、洗濯がとても大きな作業になってしまう。家電はその「便利」さゆえに家事の単位を大きくしてしまう。

食事も「美味しいもの、美味しいもの」と追い求めず、一汁一菜をささっと作り、使って済んだものをササッと洗う。そうすれば食器洗いは5分ほどで済む家事なのに、食器洗い機を回そうと思うと「ある程度は洗う食器の数が溜まらないと電気代がもったいないな」と思ってしまい、結局は食器洗いが大きな単位の家事になってしまう。

こうした稲垣さんの経験から紡がれる言葉たちに「なるほど」と膝を打つ思いであった。

実際には家族がいたり、仕事の都合があったりして、そう簡単にはいかないにしても、たまに「今日は食器を手で洗うかなあ」とか、物を買うときに少し立ち止まってみたりすることは、なかなか人生を豊かに楽しくすることのようで、読みながらわくわくしてくるのだった。

蝉が怖い

以前より「みんチャレ」というアプリが大変良いという話を書いている。なかでもガーデニングの習慣がついたのはとても良かった。ガーデニング歴は今の家に引っ越してからだから15年ぐらいなのだが、夏の暑さ、冬の寒さ、虫の発生、茂りまくる雑草、芝の手入れの困難さ、などから庭の手入れは私にとってどちらかというとつらいものであった。

だが、今年に入って芝を人工芝に変えたことが大きな転機になった。天然芝のときは、夏は隙間から雑草が生えまくり、冬は茶色く枯れて、とにかく綺麗な芝の維持は困難を極めていた。ディズニーランドの芝が綺麗なのは毎日スタッフが張り替えているからだ。

意を決して地中に防草シートを張り、地面を人工芝にしたところこれがとても快適で、庭に出るのが楽しくなった。「天然芝が良い」という人は多い。人工芝は暑いよ、と。しかし、安易にそういう人は自分では芝の手入れをしたことがないのではないかと疑っている。

今は毎朝庭に出る。草むしりが面倒だったり、雨で水やり不要だったりで何もしない日もあるが、とにかく朝は外に出る。これが継続の秘訣だ。

それは良かったのだが、ここに来て蝉に悩まされている。我が家には少し大きめの木として「ハートオブゴールド」「ヤマボウシ」「シマトネリコ」が植わっているのだが、6月ぐらいにシマトネリコに大量の蝉の抜け殻がつくようになった。

さらに、しばらくして今である。蝉がわんわんと鳴いている。それはいいのだが、うっかり木に近寄ろうものなら、ギャッと鳴き声をあげて蝉がおしっこをしながら飛び立ったり、地面に落ちている死んだ蝉を触ろうとしたら急にギャーーーーーッと鳴いて飛んでいったりする(いわゆる蝉爆弾)。

これも昨年までの手抜きガーデニングでは気づかなかったのだが、蝉は木だけではなく家の外壁にとまろうとする者も多く、数匹が家の周りを飛び交っていたりするし、昨日などは出勤しようとしたら飛び立った蝉が顔にぶつかってきた。

「蝉害」。そんな言葉はこの世にはないんだろうか。

私は今は、庭に出るときに、ボーッとして木に近寄らないようとても慎重になっている。

なんなら、蝉が支配しているぐらいの庭になっている。

話を膨らませる技術

英会話を習い始めたということもあり、週末は語学学習の本を読んでいた。

読んだのは

  • 『やっぱり英語をやりたい!』著者:鳥飼玖美子
  • 『総理通訳の外国語勉強法』著者:中川浩一

の2冊だ。『総理通訳の外国語勉強法』はアラビア語の通訳をされていたかたの本なので、語学学習といっても英語とは限らないのだが、これらの本を読んで分かるのは語学には「話を膨らませる技術」が必要だということ。いや。これは語学でなくてコミュニケーションの問題なのだ。

例文が一往復の会話で終わっている場合、そこからどう内容を展開させていくか。たとえば、趣味の会話であれば「私は趣味はテニスです」と言った後、テニスはするのが好きなのか観戦が好きなのか、するのはどれくらいの頻度でやっているのか、観戦が好きならどの選手が好きなのか、テニスをするなら試合などは出たことがあるのか、テニスが好きならば他のスポーツはどうなのか、あるいはそれ以外に趣味はあるのか。 みたいなことを英会話のレッスンの前に事前に日本語で準備しておく必要がある。

これはよく言われることだが、英会話が苦手な人はそもそも日本語での会話が苦手な可能性が高いのではないか、というのはこういうことだ。日本人は自分のことを見ず知らずの人に詳細に語るのが苦手なので、準備不足から会話が途切れてしまうことが多そうだ。

ところで私のところには仕事で営業訪問してくる人が多い。いわゆる営業職を専門としている人が来る場合、私もそのトークから営業の極意を知りたいと思ったりもする。ただし、参考にならないことも多い。営業訪問してくる人はまず会社のホームページを見て、それから私のブログを読んでくることが多い。大概は「ブログを拝見させていただきました。社長はテニスが好きなんですね」とか「多趣味ですね」などと言ってくださることが多い。しかし、それはあまり良い営業トークではないなと思う。

「社長のブログを拝見させていただきましたが、社長はテニスが好きなんですね」という会話だけでは凡庸過ぎるのだ。ブログを読んでから営業をかけてくる人の10人に8人は同じ台詞を言うからだ。「どうです?ちゃんとブログを読んで御社の研究をしていますよ」というアピールにすらならない。

最終的には、その人が自分のことを自分の言葉で語る技術を持っていてこそ、私はその営業の人の話を聞こうという気持ちになる。

『総理通訳の外国語勉強法』では、「自己発信ノート」という自分が発信する内容を書き留めたノートを作ることを勧めている。中川氏の学習法はインプットとアウトプットを5割ずつにすることを勧めているのだが、それはインプット一方では会話はうまくならないという自身の経験を踏まえてのことなのだ。

語学学習に限らず、人との関係のフックを作るには会話の準備・ストックは要るよなあ、と改めて英会話の準備をしながら思うのであった。