ロールモデルは要らない

昨年末頃に朝日新聞にこんな見出しの記事が掲載されていた。「女性役員を25年までに19%」。 政府方針として、「女性役員を登用していない企業をゼロにする方針」を示し「30年に30%以上」を目指す。

なぜこんなことを政府が決めたのか。「女性も含む多様な目線で豊かな社会や企業を作るべき」だからではない。「国際的にみても日本の女性役員の比率は低く、投資家からの目線が厳しいから」だ。「多様性への取り組みが悪いために投資家が株主総会で議案に反対したら困る」からなのだ。

そして、今日。

今朝の新聞の「けいざい+」のコーナーに「女性管理職を増やせ」という記事が載った。

この記事の最後はこう締めくくられていた。

女性管理職の数を増やすだけではない。従来の管理職像とは異なる、多様なロールモデル作りという問題も横たわる。

ロールモデル。

私は社長に就任するにあたり、ずいぶんとこの言葉に苦しめられてきた。身近に私が目指せそうなちょうど良い女性社長のロールモデルがいなかったから。

やはりトップは男性でないと駄目なのか…。 なんども打ちひしがれた。

そんなある時に、「ロールモデルはもう要らない」というようなネット記事を見かけた。私はその記事を何度も何度も読み返し、救われたような気持ちになった。その記事のことはもううろ覚えだが、女性の筆者が働く姿を見て「私はあなたのようにはなれないし、なりたくない」と言われたというようなことが書かれていた。そして、「ロールモデルを探すことはやめた方が良いのでは」とも書かれていた。

私はその記事を読んでハッとして、それからは自分の性質や肉体、これまでの経験に合った経営理念を作り出そうと思った。そして考えに考え抜いて、「私のように体力もお金もコネクションもない人間でも、唯一できるのは頭を使うこと。正しい判断をすること。ITエンジニアのため、ということについてすぐれた判断が誰よりもできる社長になることを目指そう」と気づいたのは、社長になってから5年ぐらい経ってからだった。

社長になった人が、大企業の社長など成功者の本を読み漁ったりすことはよくあるが、他人をロールモデルにしたところでうまくいくことはない。私はそれに気づいてからはもう、成功者と言われる人の本はほとんど読まなくなった。

今、自分がどう在りたいのか。自分の会社をどうしたいのか。

昔、自分よりも大きな会社を訪問した時に、自社の社員数が少ないことが(なぜか当時は)恥ずかしいと思ってい私は、「うちの会社なんか…」というような自分を卑下した言い方をしてしまったことがあるが、その時に相手のかたに「でも、山本社長がやりたいことを実現できているんでしょう?」と言われて、それでハッとしたこともある。

自分が考えて、試して、実行した結果起こったことは恥じることは何もない。誰かの真似をすることよりも、自分の頭で考えること。それでしか自分のやっている経営に誇りが持てることはない。

ここに書いたエピソードはもう、十年以上も前のことばかりだ。

今、ネットを「ロールモデル いらない」で検索したら、「もうロールモデルなんていらないのではないか」というような記事はたくさん出てくる。

なのにまだ、「ロールモデル作り」という言葉が新聞に踊る。大事なのは、ロールモデルに縛られない自由な目線で他者を認めることなのに。

久しぶりの東京連泊

普段、横浜泊が多い私であるが先週の後半は久しぶりに東京に連泊した。

最近、時折交流している麻布にある会社は、東京タワーが間近に見える場所にあるので、訪問するとビルの屋上から東京タワーを眺めるのが習慣となっている。その時(17時ぐらい)に、その会社のかたが「東京タワーのライトアップは、夕暮れ時だけの特別のライトアップをしているんですよ」と教えてくだった。

その、夕暮れ時のカラー(写真左)、そして、夜はまた冬バージョンのランドマークライト(写真右)を写真におさめたのだが、正直、スカイツリーのライトアップが日々変わることは知っていても、東京タワーのことはあまり気にしてこなかったなと思ったのであった。

ちなみに、今の東京タワーのサイトはかなり攻めているので、そちらも必見。

www.tokyotower.co.jp

さて、週末は別件で上野の鈴本演芸場で人生初めての寄席。3,000円で落語だけでなく色物と呼ばれる手品や漫才や紙切り、曲芸などが挟まって、14もの演目を楽しめた。テレビで観る落語と違って、声の張り艶が半端ない。お弁当やアルコールを持ち込んで、午後いっぱい、あるいは夜たっぷりと楽しめる娯楽となっていた。私は今回は金馬さんと柳家小ゑんさんの落語、それから林家楽一さんの紙切りが楽しめた。

その日の夜は、浅草の茶寮一松で幇間さんと芸者さんの芸を楽しみながらの会食。幇間さんとは、日本で6人しかいない男芸者さんであり、落語とはまた少し異なる艶っぽい話芸を楽しませてくれる。お座敷に来られた幇間さんは松廼家八好(まつのや はちこう)さん。お会いするのは二度目である。2月に出る週刊現代で特集が組まれているとのこと。

相撲のために両国へ足を運んだことはあったが、今回はまた違う江戸の文化を楽しめたことは大変に良かった。

そして、私の今回の東京泊は、知人女性とホテルの部屋で部屋飲み(といってもコーヒーで)しながら彼女が「国際ロマンス詐欺」に遭いかけたという話を聞いたのがクライマックスであった。

大人になってからの友達

テニスを習い始めて丸四年が経った。

テニスを始めたばかりの頃はテニスを一緒にする友達が欲しくていろんな人に声をかけていたが、今ではテニスを一緒にする仲間が増えた。

そして、テニススクールではレッスン(日曜の午前中)が終わったあとでランチを一緒にする女友達ができたことが一番嬉しい。平素は右を見ても左を見ても男性、ということが多いので、とにかく女友達とおしゃべりするのが新鮮で楽しい。

多いときで7~8人。先日の日曜はみな忙しく私含めて3人だった。 女同士の話なので更年期や介護などの話も多いが、先日はもっぱら「上位のクラスに上がりたいがなかなか上がる糸口がつかめない」「上位のクラスに上がれたのは良いが周囲についていけなくてつらい」などという話をした。

そうして、私は二人の友から「あのコーチのクラスを受けると良いのではないか」「レッスンが終わってからもコーチを捕まえてどうしたらいいか厚かましく訊いたほうがいい」などのアドバイスを受けた。

私がテニスが上手くなれないという苦しみは(当然、あとの二人も同じ悩みを抱えている)、個人のものであり、私のテニスが上手かろうがどうしようが大勢に影響を与えるわけでもないただただ業が深いだけの話だが、そういう個人の悩みを深めることを「決して間違っていないよ」と励ましてくれる友の存在は大きいなと思ったのであった。

日曜のランチの後、つらつら考えてさっそく月曜の夜に「このコーチはしっかりと指摘をしてくれる」というコーチのレッスンクラスを予約したことを二人に報告し、それぞれから「頑張ってね」と励まされた。

そうして、いろいろとコーチに遠慮せずにからもうと強い決意を持って、月曜の夜のクラスに行った。しかしながら新たなクラスに行った緊張があり、力み過ぎた私は力み過ぎていることだけを指摘されてレッスンを終えたのであった。

がっくり。

レッスンが終わったのは夜の22時である。 寒波で冷たい風が吹く駐車場に出たところで、「ゆかりん!」と呼ばれる声がしたのでそちらを見ると、テニス友達の一人が仕事帰りだといって私のレッスンが終わるのを待っていてくれた。

「心配だから待ってたのよ」

と言う。

「わーん。今日は力んじゃって、すごく調子が悪かったよう」

と嘆く私の手を握ってくれて、差し入れのお菓子まで渡してくれた。

帰宅する道すがら、「力み過ぎてしまう」自分について改めて考えていた。男性と一緒のレッスンを受けることも多く、ついついパワー負けしたくなくて力を込めてしまう。それは私の生き方そのもののようだなと思った。あと、何歳からでも年齢を超えてお友達ってできるんだなあ、幸せだなあと思ったのであった。

帰宅すると、私が差し入れで持ち帰ったお菓子を見た夫が「今日あたりゆかりんがなんかお菓子を持って帰ってくるんじゃないかなあという予感がしていたんだ」と嬉しそうに言いながらお菓子に飛びついた。「お菓子持って帰ってくる予感」て。子供か。

今年の生き方

1月もあと10日あまりになったな。早い、というよりは、「今年に入ってから濃密だな」と感じながら生きている。「濃密=充実」なのかもしれない。今年は目標設定や豊富みたいなところから少しずらした感じで一年を送ってみようとしているからかもしれない。

だいたいにおいて、年頭に「今年の目標」を立てるのは、かなり粒度が大きいことが多いので年頭から日が経つうちに途中で見失ってしまう。なので、今年はこれまで一度も買ったことがない占い本の類を買って、日々の占いに添って生きてみようというのをやっている。占いといっても「今日はラッキー」「今日はアンラッキー」みたいなことを確認するのではなくて、その本はどちらかといえば、「こういうことを意識して」「こういうことに気を付けて」などという指南する感じのことが書いてあるので、それを少しだけ意識するだけの話だ。たとえば、「今日は昼に嫌な(人に会う)会合があるなあ」と思っている日に「昼間は問題なくこなせるよ」と書いてあるから、それを信じよう、とか。いつもは自分でお弁当を作って持参して昼を済ませるのだが、「いつもと違う行動をとろう。ランチのメニューを違う感じのにしよう」と書いてあったら一人で外食をしてみるとか。

また、月単位で1月のアドバイスは「単独行動をとってみよう」とか「休息をちゃんととろう」とかなので、それを意識している。思えば、私が疲れることの要因のひとつに「寂しさ」があるのではないか。みんなが集って楽しそうにしていると何となく孤独を感じてしまうので、無理に顔を出す。そうやって顔を出す場所が増えると、自分が本当にやりたいことから離れて、人とワイワイすることが目的になり、結果疲れてしまう。

一人でいることは悪いことではない。自分が疲れているかどうかも自覚できるし、一人で歩くことで新しい発見がある。

そうやって、今年は「占いを少し意識した日々を送る」というのを頭に置いている。そうすると、一日の終わりの満足度が各段に高まる。

大きな目標をぶち上げるのではなく、365日中360日ぐらいは実行できそうなルーティーンを作る、そうして、知らぬ間に大きなことが達成できる、という考えでスタートした一年、今のところ好調だなという感じだ。

肩痛とか腰痛とか

年末のことだが、私は肩を傷めていた。年末年始はテニスができないからと、駆け込みで4連チャンぐらいでテニスをしたら、うっすら痛かった肩が決定的に痛くなってしまった。慌てて鍼灸院の予約を取った。初めて行った鍼灸院の鍼灸師の人は筋肉に割と詳しい人であった。私の肩の痛みは上腕二頭筋長頭腱炎という症状らしく、上腕二頭筋の筋肉が固くなり肩につながる腱が炎症を起こしたようなのだ。肩関節を傷めたということではなく、上腕の筋肉をしっかりケアしていなかったのが原因だったのだ。休息日を取らずに立て続けにスポーツをするのも良くないなあ。三日ほどで治ったのだが、昨年はおおいに反省をした。

さて。夫のほうはといえば年末年始は12連休であった。休みの前半で、間は2・3日に一回は休息を挟んだとはいえ、大掃除にトレランやクライミングのトレーニングに、と連日のように体を動かしていた。

年始には初日の出を見るために早朝から走りに出ていた。

案の定、夫は1月3日ぐらいから腰痛を発症し、その後ずっと一週間以上スポーツできずにいた。

昨日は夫は少しずつ体を慣らすためにハイキングに出かけた。その間、私は自宅の中に焚き火コーナーを作り、焚き火台やら薪やら耐火グローブやらといったものを収納する場所とした。私が作ったスペースを見た夫は、体を動かし足りていなかったようで、まだ痛い腰をかばいながら薪を焚き付け用に細かく割り始めた。スポーツで怪我をしながらもせわしなく生活する夫婦よなあと思った。

焚き火はこうやって見ると夫婦の共通の趣味ともいえるが、今後、「どちらが主導権を握るか」というのはちょっとだけ不安である。そもそもの発起人の私。私より屋外の焚火経験が多くうんちくを語ったり道具を買ったりするのが好きな夫。平和的に解決しながら焚き火活動をしていきたいものだ。

新年のあいさつと焚き火

新年あけましておめでとうございます。

新年のあいさつが、遅い。 そして辰年なので、アンコクくんの友達のタツロウが遊びに来ている。

さて、昨年はキャンドル・ランタンでお茶を濁したがやはり焚き火がしたいということで、ついに焚火台を買った。焚き火台の下に敷く防火マットはちょっとおしゃれなやつにした。

私はネットショッピングであれこれ物色するのが苦手なので、そういうのが大好きな夫にお任せしていたら、予想外にお高いものを買いそうになったので、どれくらいのサイズの焚き火をしたいのか、どこでしたいのか、本気でやりたいのかすぐ飽きるのか、などを話し合った結果、合わせて一万円ぐらいでコンパクトな焚き火をすることとした。

焚き火動画を見るなどしアップを万全の夫に準備は任せて、年明けに自宅の庭で、ただボーッと火を見る時間を過ごした。思えばNintendoSwitchで最初に買ったゲームは焚き火のゲームだったっけ。私はその頃からずっと焚き火がしたかったのだ。

今年は脳内を悩みでいっぱいにせず、できるだけ無の時間を過ごしたいなあと思っている。考えるのが仕事、みたいなところがあるので、敢えて。

それでは今年もよろしくお願いします。

掃除をきっちりする男、ニコラス・ケイジ

前回に引き続き、よき映画をアマゾンプライムビデオで観たので感想を書いておきたい。

タイトルは『ウィリーズ・ワンダーランド』というB級ホラー。かつて子供たちの楽園だった夢の遊園地、ウィリーズ・ワンダーランド。今は廃墟となったその場所に、車をパンクさせられて法外な支払いを要求され騙されて連れてこられた人々が「一晩掃除をしたら車を返す」といって閉じ込められる。そして、生きて出られることはない。

そこに新たに連れてこられたのがニコラス・ケイジだ。最初から最後まで一言もしゃべらないので、役名は分からない。が、とにかく、ニコラス・ケイジがめちゃくちゃクールでカッコいいし、尋常じゃない強さなのだ。とにかく、最後の去り方までカッコいいから。

とはいえ、ニコラスがやってるのはスタッフTシャツを着てガチで掃除の仕事をきっちりする男だから。年末に掃除するときに見るとその手際の良さに掃除のモチが上がる、とすら思える、「やることはやる」ニコラス。ぜひ見て欲しい。