大人になってからの友達

テニスを習い始めて丸四年が経った。

テニスを始めたばかりの頃はテニスを一緒にする友達が欲しくていろんな人に声をかけていたが、今ではテニスを一緒にする仲間が増えた。

そして、テニススクールではレッスン(日曜の午前中)が終わったあとでランチを一緒にする女友達ができたことが一番嬉しい。平素は右を見ても左を見ても男性、ということが多いので、とにかく女友達とおしゃべりするのが新鮮で楽しい。

多いときで7~8人。先日の日曜はみな忙しく私含めて3人だった。 女同士の話なので更年期や介護などの話も多いが、先日はもっぱら「上位のクラスに上がりたいがなかなか上がる糸口がつかめない」「上位のクラスに上がれたのは良いが周囲についていけなくてつらい」などという話をした。

そうして、私は二人の友から「あのコーチのクラスを受けると良いのではないか」「レッスンが終わってからもコーチを捕まえてどうしたらいいか厚かましく訊いたほうがいい」などのアドバイスを受けた。

私がテニスが上手くなれないという苦しみは(当然、あとの二人も同じ悩みを抱えている)、個人のものであり、私のテニスが上手かろうがどうしようが大勢に影響を与えるわけでもないただただ業が深いだけの話だが、そういう個人の悩みを深めることを「決して間違っていないよ」と励ましてくれる友の存在は大きいなと思ったのであった。

日曜のランチの後、つらつら考えてさっそく月曜の夜に「このコーチはしっかりと指摘をしてくれる」というコーチのレッスンクラスを予約したことを二人に報告し、それぞれから「頑張ってね」と励まされた。

そうして、いろいろとコーチに遠慮せずにからもうと強い決意を持って、月曜の夜のクラスに行った。しかしながら新たなクラスに行った緊張があり、力み過ぎた私は力み過ぎていることだけを指摘されてレッスンを終えたのであった。

がっくり。

レッスンが終わったのは夜の22時である。 寒波で冷たい風が吹く駐車場に出たところで、「ゆかりん!」と呼ばれる声がしたのでそちらを見ると、テニス友達の一人が仕事帰りだといって私のレッスンが終わるのを待っていてくれた。

「心配だから待ってたのよ」

と言う。

「わーん。今日は力んじゃって、すごく調子が悪かったよう」

と嘆く私の手を握ってくれて、差し入れのお菓子まで渡してくれた。

帰宅する道すがら、「力み過ぎてしまう」自分について改めて考えていた。男性と一緒のレッスンを受けることも多く、ついついパワー負けしたくなくて力を込めてしまう。それは私の生き方そのもののようだなと思った。あと、何歳からでも年齢を超えてお友達ってできるんだなあ、幸せだなあと思ったのであった。

帰宅すると、私が差し入れで持ち帰ったお菓子を見た夫が「今日あたりゆかりんがなんかお菓子を持って帰ってくるんじゃないかなあという予感がしていたんだ」と嬉しそうに言いながらお菓子に飛びついた。「お菓子持って帰ってくる予感」て。子供か。