「親切さ」に慣れない

いつも使っている眼鏡の一つの「鼻あて」がとれてしまった。体調を崩していたのもあり眼鏡店に行くのが面倒で、しばらくは無理やり使っていたのだが、やはり眼鏡の収まりが悪いので直しに行こうと考えた。会社から一番近いのはアリオ倉敷の中にあるJINSであった。実はJINSで眼鏡を作ったことがないが、「安価な眼鏡が豊富なデザインから選べる」というイメージを持っていたので、この手の「ちょっとした修繕」などはしてくれるのか自信がなかった。もっと「街の商店街の眼鏡屋さん」みたいなところが良いのではないだろうか。

とちょっと考えたが、体調が未だ芳しくなく遠方の眼鏡店に行く元気がなかったので、まずはJINSに寄ってみた。すると、とてもにこやかな店員さんが事情を聞いてすぐに対応してくださった。幸いにも「鼻あて」は紛失していなかったのもあり、処置はとても早かった。「お代はいくらですか?」と訊くと「無料でございます」と、にっこりと笑って言ってくださった。

ありがたいなあ、と思いつつ、JINSをあとにした。それにしてもこの手の「日本人が同じ日本人に、回りまわって利益の形で返ってくるかもしれないとはいえ、とても親切にしてくれる」ということについて、その日本人の一見すると非常に善良な感じについて、ちょっと脳みそが混乱して、「いつから日本人はこんなに親切になったのだろう」と思ってしまうことがある。

たとえば、しばらく前の話だが、ちょっとした内視鏡手術のための診察を一年前に病院で入れてもらって、一年後にまんまと一日前に間違って病院に足を運んでしまったことがある。自動の受付機で「本日の予約はありません」と表示されてちょっとショックを受け、ふらふらと人がいる受付に足を運んだら、受付のかたがたいそう心配してくれて、しかし「一度発行した予約票は二度めの発行はできないんです」とすまなそうに言う。その時点で私はうっすらと「自分が予約日を間違えた可能性」に気づき始めて恥ずかしくなっていたので、「分かりました。お手間かけました」と小さく謝って受付をあとにした。 すると、その受付のかたがわざわざ失意にヨロけて歩いている私を追いかけてきてくれて「〇番!〇番の受付でしたら例外的に予約票を再発行してくれます。ぜひ、そこに行かれてはどうでしょう?」と優しく声をかけてくださった。 その時に私は、ちょっと感動して、「そんなにもなんで親切にしてくれるんでしょうか?」という気持ちになった。

そういったことが、最近とても多い気がする。たぶん、日本人だって仕事の上で苛ついて不愛想な態度をとるかたも多いだろうし、それはもう、接客という仕事そのものが大変だからやむを得ない。不愛想ぐらい甘んじて受け止めよう。と腹を括って生きているのだが、概ね、皆さんが親切にしてくださって感動することのほうが多い。私が若いころ、もっと不寛容な態度をたくさん取られていたような気がするので、そのギャップに何年も慣れないでいる。

ところで通院であるが、次の診察は三年後である。「次は三年後に来てください。システムが三年先には対応していないので、忘れずに三年後に来てください」とのことだ。予約をちゃんと取れるか不安でしょうがないが、きっとまた親切なかたに助けられて三年後もなんとかなるだろう。世の中が今より不寛容になっていなければいいけど。