私がときどき若い人に言う台詞に「記憶って改ざんできるから」というものがある。どういう感じかという説明がちょっと難しいのだが、人の脳の研究などでも事例として、「人とは自分の都合が良いように脳の記憶を書き換えてしまうことが往々にしてある」、みたいなやつね。
私がそれをリアルに実感したのは、もう何年も前、とある組織の会長候補になったときに組織の先輩から「お前はまだ早い。今のお前には誰もついていかない」と言われたことがあった。当時私も人望がないのは自覚していたので、それなりに傷つきながら、言われるがままに推薦を固辞した。が、結果的に他になり手がいなかったので私が会長になった。という出来事があった。
数年してから、私がその職でそれなりに成果を出した後で、先輩が私に向かって「お前は俺が引き立ててやったからなあ。お前ならやれると思ってたよ」と言われて、自分の記憶と真逆なので冗談で言っているのかと思ったが、先輩は本当にそう思っているっぽかったので、あっ、この人、記憶が改ざんされたんだなあと思ったことがある。
以来、私は「人の記憶は改ざんされる」を逆手にとって「人の記憶は改ざんできる」と思いながら生きるようにしている。
もし何か仕事で失敗をして大層怒られたとする。自分でも「なんであんな失敗をしたのだろう」と悔やんでしまい、そのジャンルの仕事とか、自分を怒った人のことがとても苦手になってしまうことがある。
さっきの事例で言うならば、「お前には誰もついていかない」と言ってきた人の言葉は深く心に刺さり、その台詞を言った人と会うたびに「私って人気がないからなあ」と卑屈になってしまっていた。
が、「記憶って改ざんされるんだ!」と思えた時からはあまり過去の自分に対する評価に囚われなくなった。「あー。昨日、余計なこと言って失敗しちゃったかも」と落ち込むことがあっても、「言っちゃったものはしょうがないから、あの人の記憶を書き換えよう!」みたいに言い聞かせて気持ちを切り替えて行動するようにしている。
真摯に取り組んで、自分にも相手にもハッピーな結果を生み出すことができたとき、ごく稀にほんとに相手の記憶が良いほうに変わることがあるのかもしれない。もちろんそういうことばっかりじゃなくて「お前、昔は全然ダメだったけど、今は成長したなあ」などと言ってもらえることのほうが多いけども。
こういう考え方もあるよ、という参考にしてください。